国全体が低俗なバラエティ番組と化している
YouTuberに罪はないが、「一瞬の面白さに至上の価値を置く」という意味でもう少しだけ例を挙げたい。
面白さを追求する人生はもちろんあっていい。その動画に一瞬心を救われる人もいるだろう。だが、国民全員が面白さの方向しか見なくなったら、国の基盤は間違いなく脆くなる。
笑いを伴う「面白さ」というのは今、この時の一瞬の快楽に過ぎない。面白さだけを追求する価値観は、すべてをバラエティ番組化することにも似ている。そうなると、社会全体を少しでもよくしようとか、未来の世代のために自分はなにができるかといった公益や長期的な視点がどうしても欠如してしまう。
平時であれば、それでも社会は回るだろう。だが、ひとたび非常事態に陥ると、その社会はたちまち危機に瀕してしまう。コロナ禍の数年間を思い返すだけでも、すでにその事実は証明されている。社会の構成員全員がそのような使命感を持つ必要はないが、一定数はそうした人材がいなければ国も社会も成り立たない。
AI(人工知能)やロボットが人間の労働すべてを肩代わりしてくれる未来が到来しても、それは同じだ。AIが最も得意とするのは将棋やチェスのようにルールが明確で限定された場である。有限のルール内だからこそ、あらゆる可能性を洗い出せるのがAIの強みだ。
一方で、現実世界は常に予測不能なことが起きる。前代未聞の事態に対処するのは、大量の情報を分析できるAIではなく、やはり自立した頭で考えられる人間しかいないのだ。
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文/池田清彦
写真/shutterstock












