実は“シンプル”だった落合野球
2004年に中日は落合博満監督が就任。私は荒木選手とのアライバコンビが定着し、チームも毎年のように優勝争いを繰り広げていた。
落合監督の野球はとてもシンプル。選手に無理なことを言うわけでもなく、当たり前のことを要求される。だから、私にはとてもわかりやすかった。ただ、あの人が醸し出す独特の雰囲気のようなものがあって、「何を考えているんだろう?」と相手が勝手に構えてしまう。それでミスしてくれたりすることもあった。
相手が考えれば考えるほど、逆にこちらは当たり前のことを普通にやっていればいい。
裏をかいているわけでも何でもなく、相手が勝手に嵌まってくれるのだ。
では、「シンプル」とはどういうことなのか?
バッティングなら、打てるボールを打てばいい。初球から打てるボールが来たら打っていいよ。それで全員が初球を打って、結果アウトになって、27球で試合が終わってもいい。そのかわり、甘いボールを絶対に逃すな、と。
そして、追い込まれてワンバウンドの変化球を振って三振したりするのを嫌った。
「低めの見逃し三振はオッケーだから」と言われていて、逆に高めのボール球を振ってしまっても何も言われない。そういうところが、私の考える〝シンプル〟。
だから選手も自分の仕事に特化していた。
最近はシーズン100打点を超える選手はなかなかいない時代だが、あの頃は、3番福留、4番タイロン・ウッズと、同一シーズンでチーム内に2人も100打点以上の打者が出たり、ウッズの後に4番に入ったトニ・ブランコや、森野将彦選手が100打点以上を記録したシーズンもあった。のちにFAで加入した和田一浩選手も、90打点前後の数字を残している。
私と荒木はチャンスを作るのが役割だとしたら、3番、4番はそれを返す役割。そういう仕事の象徴が、100打点超えだったはずだ。