Aちゃんの葬儀当日に届いた「告白文」
このCちゃん殺害事件から、当時写真誌の記者だったわたしは取材に関わった。写真誌記者の宿命で、少女たちの顔写真を入手するため奔走した。
川越署は情報提供のため積極的にメディアに対応した。今では考えられないが、Cちゃんの写真提供を依頼すると「親御さんの了解があれば」と、その場で母親に電話を入れてくれたのだ。この週の誌面には、笑顔のAちゃん、Bちゃん、Cちゃんが並んだ。
確たる情報があったわけではないが、このころからメディアは連続誘拐事件を匂わせた。この時期、捜査線上に、のちに逮捕される宮崎勤に繋がる情報は皆無だった。
元号が平成に変わった1989年2月6日、Aちゃんの自宅玄関前に段ボール箱が1個置かれていた。Aちゃんの父親がそのときの状況を語ってくれた。
「あの日は、午前5時半に会社に行こうとドアを開けたらズズーと何かに当たった感触がありました。近所の子供の忘れ物かなと思って中を見ると、これはまずいと直感しました。Aが穿いていたパンツの写真、遺骨らしいものや暗号のようなコピー用紙が入っていた。とても女房には見せられないと思いました」
拡大されたコピー文字には「A 遺骨 焼 証明 鑑定」と書かれていた。送られてきた子供の歯を見た瞬間、父親は娘の死を確信したという。
しかし、捜査本部が置かれていた狭山署は「発見された歯牙は、Aちゃんの治療時のカルテとは異なるものと認められる」ため、別人の歯牙と断定した。
だが、3月1日、狭山署は段ボールの人骨はAちゃんのものであると発表し、死亡が確定。3月11日には葬儀が執り行われた。
遺骨が入った段ボールが届いた直後、「今田勇子」の名で朝日新聞東京本社とAちゃんの自宅に「犯行声明」が郵送された。捜査の攪乱を狙ったのか、「子供を産めない女」を演じていた。
「私は、神に斗(たたか)いを挑まなくてはなりません」
Aちゃんの葬儀当日には、今田勇子からの「告白文」が届いた。犯行声明と同様に、朝日新聞社にも郵送されたことが葬儀会場内に広がり、騒然となった。ワイドショーは連日、「子供を亡くした中年女性」などと、今田勇子像を分析、解説した。