――モーニング娘。を卒業して、ソロになってから、徐々にライブも自由にできるようになってきて、今はその延長線上にあるという感じですか?

そうですね。ハロー!プロジェクトにいた頃は、ソロのライブも基本ハロー!の歌って踊るという見せ方をやってきて、最初はつんく♂さんのプロデュースで、途中からライブの舞台監督さんと話しながら、自分の意見も入れてもらって作っていった感じでした。ライブに関しては、ある程度自由にさせてもらいましたね。
そして「G-Emotion」(「後藤真希 LIVE TOUR 2006 〜G-Emotion〜」、後藤真希に興味を持った人にはまず観てもらいたいライブ)から、いわば後藤真希主導という感じに、なんとなーくなっていったんです。

――その前のSECRET LIVE(シングル「ガラスのパンプス」封入のシリアルコードによる抽選で参加できた新木場STUDIO COASTでのライブ)が、そのお試しだったんですか?

結果、そんな感じになりましたね。それまではハロー!のライブで、ダンサーにメンズを入れることもなかったですけど、「ガラスのパンプス」は大人っぽい曲でしたし、これまでとイメージを変えたいなって思ったんですよ。
私はもともと、アイドルがやりたかったわけではないので。でも、ファンのみんなはアイドルの私を好きになってついてきてくれたわけだし、みんなついてこれるかな、ここまでだったらいいかな、とか考えていましたね。最初の「G-Emotion」でも、ファンのみんなの戸惑いがないような内容にしました。

――ハロー!のソロ時代は、そういう段階を経て、ちょっとずつ変えていったんですね。そこからエイベックスに移籍しましたが、またハロー!とはまったく違ったのではないですか?

後藤真希36歳の真実 Part.1 「芸能活動辞めようと思っても、いつも誰かしらが行き止まりを作ってくれる」_a

ですね。エイベックスに入ってからはスタッフのみなさんと一緒に作っていく体制が、最初からできていました。作詞もやり始めたり、振り付けも、ジャケットも、ミュージックビデオも自分の意見を取り入れてもらって。ライブだけじゃなく、作品作りにすごい関わるようになった。
ハロー!の頃は、レコーディングといったら歌入れだけでおしまいだったんですが、ミックス(楽曲の各トラックの音量やバランスを確認する作業)にも立ち会うようになって…そこで、すごく耳が鍛えられましたね。

――それまでやっていなかった作品作りに、いきなり関わるようになって、戸惑いはなかったですか。

案外すんなり、出来た…気がする。なんででしょうね(笑)。これまでやってなかったことなのにね。でも昔からそういうことをやりたいというような、感覚はあったのかもしれない。ずっとブリトニー・スピアーズとかの作品作りを映像で見ていたりして、「いいな」って思ってました。音楽の見せ方とかは、ライブを作ってきたんで、その経験から、自然とできたのかもしれないです。