ペソアと漱石

山本 先ほど仁科芳雄の話をしましたが、もう一人、今回の評伝を読んで思い浮かべた同時代人がいました。夏目漱石です。漱石はご存じの通り、政府から英語の研究をするように命じられてロンドンに留学するんですが、それを無視して「リテラチュア」の研究をするわけですね。彼にしてみたら、それは未知の概念で、漢語でいう「文学」とイコールにして良いのかがわからない。大学の授業に出て、いろいろ聞いてみるもののピンとこない。それで本屋でいろんな分野の本を買い漁って、下宿に立て籠もってそれを読みまくる。自分で道を切り開く構えです。これはあとで伺えればと思うのですが、多方面に関心を向けたペソアと重なって見えます。
 では、漱石がどういう落とし前をつけたかというと、古今東西のあらゆる文学を一般化しようとした。帰国後に東京帝国大学で「ジェネラル・コンセプション・オブ・リテラチャー」という文学論講義をやっています。当時の文学とは何かという議論では、社会の問題が書かれていないとダメだとか、人間の生き様を表現していなければいけない、なんてことが言われていた。でも、漱石はそういう捉え方では狭すぎて、同時代の局地でしか通用しないのではないかと考え、文学の一般理論を構築しようとした。そのとき土台にしたのが当時の最新科学である心理学でした。文学という営みを成り立たせている人間の意識や精神という基盤まで戻って捉え直そうというわけです。そこでもっぱら参照されたのは、ウイリアム・ジェイムズ流の意識観で、つまり意識とは川の流れのようなもので、次々と注意の焦点が移り変わってゆくというモデルでした。人はひとつのことにぐっと集中することもあるけれど、たいていは外からくる知覚や自分の中で生じるいろんな変化に次々と気をとられながら生きている。その移ろう内容を漱石は例の「F+f」(認識と情緒)として捉えたのでした。
 ペソアも生きた十九世紀末から二十世紀にかけて、西洋では人間の心理への関心が高まっていましたね。無意識に目を向けるフロイトの精神分析しかり、「事象そのものへ」といい、意識の働きを探究したフッサールの現象学しかり。心理学の「意識の流れ」しかり。意識とは次々と移り変わるものだという書き方は、ヴァージニア・ウルフが得意としたものですが、ペソアを読んだあとに「意識の流れ」と呼ばれる文学を読むと、そこにあるのは何か単一の意識のように見えてくる。その点、ペソアはさらにラディカルで、意識がマルチプルというか、千々に乱れた状態を素直に認めて受け入れている。ペソアは同時代の心理学が前提としていた人間の意識の根っこにある単一性を認めていない気がして、それが百年以上の月日が経っても彼の作品が色褪せない理由なのかなと思います。漱石も意識の流れや個人主義について考えながら、個人というユニットそれ自体に疑いを持っていた。その視点を突き詰めると、ペソアのような考えに通じる気がしたのでした。
澤田 いやぁ、とても面白い捉え方ですね。刺激的な批評をありがとうございます。まさに漱石があの時代に生きた矛盾を、ペソア自身も抱えていたんだと私も思います。ペソアは、母親が外交官と再婚した関係で、継父が赴任する南アフリカのダーバンで八歳から十七歳までを過ごし、そこで英国風の教育を受けるのです。漱石の留学とは違うけれど、生まれ育った南欧のカトリック文化圏から引き離され、植民地というバイアスがかかったイギリス文化のなかで思春期の人格形成を行うのです。もちろん、親はポルトガル人ですし、家庭ではポルトガル文化との接点もあったのでしょうが、学校ではまったく違う世界があった。そこには大きなギャップがあって、彼のなかにはそれが唯一という考え方、単線的な価値観の基準はなかったと思います。
 青年期、リスボンに単身帰国するわけですが、いま風に言えば帰国子女的な感じで、周囲から浮いていたのではないでしょうか。たとえば、彼が詩人として活動していた頃、ヨーロッパでは第一次世界大戦が起き、それと前後して多くの芸術潮流が起こります。友人たちの目はこぞってパリの方に向いているのに、ペソアの関心はむしろロンドンです。むろん、未来派などに共鳴し、アルヴァロ・デ・カンポス名義ではそういった作品も書いていますが、リカルド・レイス名義の詩には、ギリシャやローマの古典が重要な要素になっています。彼のうちにあるこのような多様な関心が、様々な異名を生み出したことの背景にあるかと思うのです。誰しも自分のなかに矛盾した要素を抱え持つわけですが、ペソアはそれらをヘーゲル的にアウフヘーベンするのではなく、むしろばらばらなものを積極的に拡散し、乱反射させていく。ペソアは人間の意識を捉える上で、そういう戦略を取ったんだと私は思います。たとえば山本さんが例として挙げたフッサールの現象学に似た考えをするのが、見える世界は見えるがままだとする自然詩人のアルベルト・カエイロという異名者なわけですが、ペソア自身の世界観は必ずしもそうではなくて、見える世界の背後にある隠れた世界を追求します。一方で、カンポスの人格になると、突然、機械文明が全面的に展開するという次第で、まるで片付けができない子供部屋のような光景がペソアという多数詩人のうちにある。一人のなかにある複数の自分をそのまま引き受けているわけです。
 だからペソアに関しては、ビルドゥングス・ロマンのような、成長していく人格ではなく、むしろ分人主義的な捉え方をしたほうがわかりやすいと思います。垂直方向に展開していくのではなくて、水平方向に移動変化していくのです。本人は、「私は進化するのではなく、旅をするのです」と説明しています。ペソアは作品が完成する前に関心が別のものへと移っていってしまう癖があるために未完の作品を多く残したんですが、その理由もそこにあるのではないでしょうか。ペソアのなかにはポルトガル最大の詩人カモンイスが書いた叙事詩『ウズ・ルジアダス』のような趣きがあると思えば、一方で、コスモポリタンを意識している部分もある。どっちかではなく、両方あってもいいんだよね、と引き受けている。そこがやっぱり面白くて、科学を信奉しながらもお正月には初詣に行ったりする、我々、現代の日本人の共感を呼ぶのかもしれません。
山本 ごたまぜでも平然としている。ところで、漱石の前任者のラフカディオ・ハーンは学生たちに向けた最後の授業で、文学にもその時々の流行があって、古典的なものと前衛的なものの間を揺れ動いているのだ、と説いています。どちらか一方だけではなく、両方を見ておかなければダメだ、というわけです。ペソアの意識や関心は、そういうリニアな展開ではなく、古典的な趣味だったり前衛に近づこうとする趣向だったりが並行していますね。
 つまり、あれかこれか、ではなく、あれもこれも、なんですね。あれとこれにそれぞれキャラを配分すれば、異名者になる。現代のコンピューターのOSを連想します。OSはいくつものアプリケーションを同時に動かせるので、一見、マルチタスクを実現しているように見えます。でも、その実、CPUの稼働時間を細かく分けて、断片化している。ワードを動かして、ブラウザを動かして、メーラーを動かしてと、ぐるぐる超高速回転しながら断片を渡り歩いている。ペソアはそれに近くて、今はカンポスでも、別のときにはカエイロになる。そういう意味では、同時並行ではなく、疑似並行とでも言いましょうか。
澤田 そうした意識や関心の複数性は彼が遺した蔵書を見てもわかりますね。あと、本のなかにも書いたのですが、ペソアは実務には不得手で、何度も小さな会社を立ち上げてはすぐに失敗しちゃうんですが、政治や商業の理論的なことには詳しい人でもあり、それについて書いた論文もなかなか面白いのです。考えれば考えるほど、不思議な人です。

蔵書という思想

山本 今、蔵書のお話が出ましたが、ペソアの蔵書は記念館に収められていて、同館のウェブサイトで目録が公開されていますね。以前、その蔵書を自分でリスト化して、言語やジャンルで分けて一覧にしてみました。母語のポルトガル語だけでなく、英語、フランス語、それからローブ古典叢書という、古代ギリシャ語・ラテン語の古典作品に英語の対訳を付したものまである。
 澤田さんにお聞きしたいのですが、ポルトガルに生まれ、イギリス文化に浸かりながら、これだけ多言語の本を読み、英語だけでなくフランス語でもものを考えたり書いたりするという経験はペソアにとってどういうものだったのでしょうか。たとえば、澤田さんご自身も日本語を第一言語としながら、先ほどお話しくださったように様々な言語に触れてこられましたよね。ご自身のなかで言語同士が相対化されたりするものでしょうか。
澤田 複数言語を生きるという問題は、今、文学を語る上で重要なテーマになっていると思います。ペソアには比べるべくもないのですが、僕自身はたまたまフランス人が作った学校に十二年間通っていたために、入学式や卒業式には日の丸と三色旗が並んで掲揚され、「ラ・マルセイエーズ」と「君が代」を斉唱するという奇妙な環境で成長しました。他の世界を知らないので、世の中そういうものだと思っていました(笑)。その後、フランスで勉強し、私生活でもフランス語を話す時間がかなり多いので、複数言語を生きる人間と言えるかもしれません。ただ、そういう人はいまかなり増えているのではないでしょうか。
 ペソアに戻れば、やはり、南アフリカで英国風の教育を受けたことが大きかったと思います。古典文学に対する関心はそこで培われたはずですから。彼の場合、日常会話はポルトガル語で行われたのかもしれませんが、知的、かつ、理論的な思考は生涯にわたって英語がメインだったように思われます。当時、ポルトガルの上流階級の人たちはフランス語を喋る人が多く、作家たちもフランス語で作品を発表していました。そんななかで英語で書く作家は、同時代の人々にとっては違和感や異質感を感じさせたかもしれません。複数言語の問題は翻訳の問題とも関わることで、ペソアという人を考えるときに鍵になると思います。ちなみに、ペソアが生涯にわたって生活の糧としたのは商業翻訳の仕事でした。
山本 言語環境もものの見方を育むわけですね。ペソアの蔵書に含まれている言語関連の本の割合を調べてみると、英語がダントツです。私が検討した限りのことではありますが、六百八冊で全蔵書のほぼ半分。第二位がポルトガル語で、約二十五パーセントの三百七冊。フランス語は第三位でした。こんな風に母語ではない言語が蔵書に占める割合の最上位に来るのは面白いですよね。澤田さんがおっしゃったように、英語で知的にものを考える実践をしていたというのは、ここにも表れているのかもしれません。ペソアは学校で古典語も習ったのでしたね。
澤田 ラテン語は習っていましたね。
山本 そうですよね。そのつもりで蔵書を見ると、言語そのものにも関心があった様子も窺えます。語学関連では、ギリシャ語、ラテン語、英語、ポルトガル語の他にドイツ語、エスペラント語、ヒッタイト語、それからバントゥー語の書物まである。
澤田 すごいですよね。驚きます。
山本 私もそこまでとは、とびっくりしました。実際どこまで勉強して、どこまで読み書きできたのかはわかりませんが、少なくとも関心があったのは事実だと思います。他にも気になるのは、蔵書に理工系の本が並んでいるところ。ざっと見てみると、一番多いのは言語学、文献学、文学で六百六十八冊。数学、化学、応用化学、薬学、工学といった理工系が四十八冊。哲学、心理学が百七十四冊。文理がこれだけ分かれてしまった私たちの時代から考えると、詩人のペソアが理系的な知にこれほどの関心を持っていたことはとても興味深いです。
澤田 ええ。ペソアのなかに百科全書的な関心というのは紛れもなくあったと思います。世界を丸ごと、そっくりそのまま捉えたいというか。それは理解したいというのとも違う、不思議な欲望だったように思われます。一言で捉えたいと言っても、知的に、感覚的に、感情的に捉える方法があると思うのですが、ペソアはあらゆるレベルであらゆるものを捉えたいと思った。ですが、薬学や化学、工学にまで手を伸ばすというのは、なかなか面白いですよね。僕はそこまで精査して見ていなかったので、山本さんに教えてもらって、なるほどと思いました。
山本 私はペソアの関心の散らかりようが気になるのでした。蔵書といえば、今度復刊される山口昌男さんの『本の神話学[増補新版]』(中公文庫)に解説を書く機会があって再読しました。あの本で山口さんはヴァールブルク文庫を紹介しています。ヴァールブルク文庫というのは、銀行家の息子で美術史家になったアビ・ヴァールブルクが美術史の研究のために買い集めた書物や資料を収蔵したアーカイヴです。山口さんは、そこに注目して、書棚とはそれ自体が思想の表現なんだと強調している。つまり、どんな本をどんな風に集めて、どうやって並べているのか、それもまたその人の世界の見方、コスモロジーの表現なんだと言うわけです。山口さんがそのような文章を書いてから五十年近くが経ち、デジタル環境がこれだけ発達した時代になって、いっそう身に染みる指摘です。ある人が、本をどう集め、どう並べたのか。いつも目に入る物理環境としての書棚に思想の表現がある。その人が何に関心を持って、何を考えたのかの痕跡である蔵書って、その人物や時代について知りたい後世の者にとっても重要なアーカイヴなんですよね。