「今の自分の居場所を求めて」岩城けい×小島慶子『M』刊行記念対談_1
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「今の自分の居場所を求めて」岩城けい×小島慶子『M』刊行記念対談_2
M
著者:岩城 けい
定価:1,815円(10%税込)

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『Masato』『Matt』に続く三部作の完結編『M』が、この六月刊行されました。小学生の時にオーストラリアに移住した真人が、今作ではメルボルンの大学生として登場します。前二作で言語やアイデンティティの壁に阻まれ、家族・友人との関係に苦しんできた彼が、『M』ではアルメニア人の女の子・アビーという新しい個性と出会い……。
 刊行を記念して、デビュー作『さようなら、オレンジ』から岩城さんの著作を読んでいらした小島慶子さんにご登場願い、お互いの作品や文化・教育における日豪の差異について語っていただきました。

構成/三宅香帆 撮影/神ノ川智早(岩城) 撮影/鈴木愛子(小島)

海外へ渡った家族の、その後

小島 『Masato』『Matt』『M』と、「アンドウマサト三部作」シリーズ、ほんとうにおもしろく拝読しました。我が家も、息子たちがオーストラリアに住んで、自分は日本で働くという生活をはじめてもう十年目です。だからこそ共感したところもあり、うちはこうじゃなかったなと感じたところもあり、いろいろなことを考えながら読みました。
岩城 ありがとうございます、光栄です。
小島 真人たちの一家の葛藤は本当にリアルでした。「子どものため」と思ってやったことが、結果として夫婦の間にひびを入れたり、家族それぞれが見る方向を違わせてしまう。
岩城 そうですね。「英語ができてほしい」とか「大学に入ってほしい」とか、親の願望って、全部悲しいくらいに子どものためなんですけどね。もちろんどの言語でも、どの土地でも、最終的には子どもが健康で幸せであればいいけれど、親はなかなかそんな俯瞰の視点は持てません。その時々は必死ですから。オーストラリアで様々なケースを見たり聞いたりする中で、子どものヘルスやウェルビーイングを考えたいなと思ってきました。
小島 海外移住が合うかどうかって、人によりますよね。帰国子女や英語圏で長く暮らした人がみな海外生活に適応できていたかというと、そんなことはない。子どもの頃に海外でいじめを経験したゆえに、大人になっても白人社会に対して非常にセンシティブになっているという例もたまに聞きます。前二作の『Masato』や『Matt』では真人も同級生にいじめられていました。
岩城 お母さんは「子どものため」と現地校に無理やり行かせ、英語を習得させようとしたけれど、子どもにとってそれはハッピーな経験ではなかった、という話も聞きますよね。
小島 私は父の転勤先だったオーストラリアのパースで生まれたのですが、70年代に現地で出産した母は、私を一人抱いて海辺まで車を飛ばし「もう日本に帰りたい」って泣いたそうなんです。だから「真人シリーズ」を読みながら、母のこともずいぶん考えました。駐在妻として三百六十度他人に気を遣いながら、本当に胃が痛くなるような思いをして暮らしていた母の姿を、私は子どもとして見ていた。でもきっと、今でも同じような苦しみを抱いている駐在員の方々もたくさんいますよね。
岩城 私もたまに駐在員さんと交流することがありますが、お話を聞く限り、日本よりも日本らしいお付き合いが待っていますよね。それで苦しむ方は非常に多い。昔、「日本に帰りたい」と言う奥さんと知り合いになったのですが、夫が妻のパスポートを毎日持ち歩いていたんですよ。奥さんに一人で帰られてしまうのではないかと怖がって。
小島 中には、駐在員として海外に住んでいるけれど、帰国後にわが子を東大に入れることしか考えていない人もいるという話を聞いたことがあります。海外にいるからこそ、日本社会に後れを取らないようにと焦ってしまうという。
岩城 そうかと思えば、駐在員生活をエンジョイしている方もいらっしゃったりしますけどね。それは人それぞれです。
小島 そうですね。ちなみに当時「日本に帰りたい」と泣いていたという私の母は、オーストラリア生活を振り返るたびに、「本当にすばらしいところだった」と言うんですよ! オーストラリアの自然が彼女に与えた安らぎとか、異国での暮らしが彼女に与えた自由も、たしかにあったんです。でも同時に、日本社会の縮図である駐在員コミュニティでの超濃密な生きづらさもあった。そのふたつが同居していたんでしょうね。
岩城 小島さんの書かれた『ホライズン』は、様々な事情でオーストラリアという地に辿り着いた女性たちの物語ですが、日本人の海外コミュニティについての描写がかなり生々しかったです。駐在さんと在住の違いがはっきりしていました。それから、自然描写や小道具の使い方もリアルだなあと。こういうふうに私は書けないので、驚きましたし、感心もしました。
小島 ありがとうございます。
岩城 この物語には三十代の女性がたくさん出てきますが、このくらいの年齢は一番悩ましい時期なのかもしれませんね。出産やキャリアについて人と比べたくもなる。そこに渦巻いているものを読める小説です。海外へ転勤になった男性に女性がついていく風習は今もありますし、そこで生活の変化に戸惑う描写もリアルでした。
小島 妻が夫の海外赴任に帯同するうえでの苦労を考えるとき、母の時代は駐在員コミュニティの生きづらさが主たるものでした。でも今の時代は、そこにキャリアが絡んでくる。私の周りでも、正社員として働いている女性が夫の転勤に帯同する際に、仕事をどうするかかなり悩ましいようです。「制度を組み合わせたら三年までは休めるんだけど、三年超えちゃうともう休めない。じゃあ、自分だけ日本に帰る? それとも会社辞めちゃう?」と。かつての女性たちとは、また違ったところに悩みどころがあるんです。今はそうしたケースに対応する企業も少しずつ出てきたようですが。

表現が救済になる

小島 岩城さんの作品はいつも、「母語ではない言語を使って、母国ではない社会で、どのように居場所を得ていくか」を描いていますよね。やっと英語を習得した真人は、今回の『M』で「じゃあこの英語というツールを使って、母国ではないこの社会でどう生きていくのか」を考えるフェーズに入っている。
岩城 そうですね。『M』で大学生になった真人にとって、もう英語の習得は目的ではなく、英語で何を表現するかが重要になってきています。英語を使って自分はどういう人間か表明する、どうやって社会に貢献するか、社会に溶け込んでいくかを考えている。そういう意味でも、語学は一つの重要なツールですよね。こちらに来た人が英語を話せるようになるのに、二年かかると言われるんですよ。でも書き言葉になると平均八年。だから小学生の時に移住してきた真人は、ようやく英語を習得し終わったくらいかな、と。

――演劇に興味を抱き続けてきた真人ですが、卒業後の就職活動にあたって「表現」を自分の仕事にするかどうかで悩む場面もありました。

岩城 彼は銀行員になろうとしているのですが、何かが違うと思っている。でも、やっぱりお金は必要なんですよね。オーストラリアでは年金制度がしっかりしているから、会社に勤めることには大きなメリットがあります。でも、彼は本当にそれでいいのか最後まで悩み続けている。彼にとっては「自分が誰なのか」を追求するためには、表現することが大事だったのだと思います。
小島 真人にとっては、演じること、すなわち表現がある種の救済になっていますよね。「母語ではない言語」を自分のものにするときは、その過程でどうしても苦しみが存在する。言語の壁は高く険しいですが、表現はその苦しみを救済してくれるというか……。そしてそれ以上に、言語の習得過程で、家族との関係に変化が生じてしまった苦しみに対する救済でもある。
岩城 嬉しい。すごくじんときました。
小島 岩城さんのデビュー作『さようなら、オレンジ』では、その救済が非常に美しい形で結実していました。今回の『M』でもまた「表現することは救済である」というテーマが描かれ、『さようなら、オレンジ』と通底するものがあるな、と拝読していました。
 きっとこのテーマは、移民の方々に限った話ではないんですよ。日本で生まれて日本で生きている人にも通用するはずです。母語が同じ者同士でも、話が通じないことはたくさんあります。その結果「自分はこのコミュニティに居場所がない」と疎外感を覚えて、孤独を深めていく人はいくらでもいる。そういう意味で、『M』は決して海外生活を経験した人にしか分からない小説ではなくて……社会に居場所がなくて、他者と通じ合えている実感が持てない人にとって、「表現するとはどういうことか」を示す小説になっているんです。
岩城 ああ、それはまさにその通りかもしれません。昔、メルボルンでアウシュビッツ収容所にまつわる展覧会を観たことがあるんです。ユダヤ人の生存者が作ったアート作品がたくさん飾られているんですね。それらを観ていると、絵を描いたり表現したりすること自体によって心は慰められるのだ、ということがよく分かりました。ああ、やはり表現は心の救いになり得るんだな、と。