抗うつ薬では生き方は変わらない
人生の初期、彼ら“虐待サバイバー”は守ってくれるはずの親から守られず、むしろ積極的に虐げられてきた。ゆえに、親に頼る、助けてもらうということを経験してこなかった。だから、目の前のことは自分でこなすしか選択肢を知らず、人に助けを求めたり、頼ったりすることを極端に避けてしまう。これは、“虐待サバイバー”に共通の心理でもある。
親に頼れなかった経験は、大人になって強い義務感として現れ、緊張感を強いる。褒められた体験もないか乏しいから、自分を認めて甘やかすことも知らない(自分に報酬を与えられない)。こうして彼らは絶えず緊張していて、気持ちが緩むこともない。ゆえに、「情緒的消耗感」が彼らは普通の何倍も激しいのだろうと思う。
以上の理由から、“虐待サバイバー”は燃え尽き症候群を発症しやすいのではないかと私は感じている。
伊藤さんは、28歳のときに最初のうつ病を発症した。厳密に言うと、それは燃え尽き症候群だっただろう。しかし、主治医の制止を振りきって職場に復帰した。休んでいるほうが落ち着かなかった。休職したのは、1ヵ月ほどだった。
仕事を休んでしまったという後ろめたさがあった。それで、彼は勤めていた工場を辞めて、別の会社に就職した。
それから十数年が経ち、40歳のときに再び倒れてしまった。うつ病が完治したと思っていた彼は、精神科への通院はやめていた。そこで、また別の精神科にかかり、再び抗うつ薬を処方された。傷病手当をもらいながら治療に専念することになった。
今度は心理療法も追加された。だが、それもあまり効かなかった。
傷病手当を受けとれる期間が終わりそうになり、彼は職場に復帰した。
それから5年後の45歳のとき、三度、彼は倒れてしまった。今度は、まったく体に力が入らなかった。
そのころには疲れていても眠れず、睡眠薬を処方されても効かなかった。ただ、体が重くなるだけだった。40歳で倒れたときから彼を診ている主治医は、入院を勧めた。それで彼は、しばらく入院することになった。
そのあいだに仕事は辞めた。
退院後、就職活動をしたが、休職が多いことを指摘されて採用にいたることはなかった。そして、預貯金が尽き、生活保護の申請に赴いた。
生活保護になったという負い目から、彼は就職活動に必死だった。しかし、うまくいかなかった。せっかく仕事に就いても、疲れきっていて体が思うように動かなかった。仕事の覚えも悪く、迷惑がかかると思った彼は、職を辞しては、また新たな職場に勤めるということを繰り返していた。なかなか自立には向かわなかった。
自立しようとがんばるが余計に疲弊していく。そんな悪循環があった。
文/植原亮太 写真/shutterstock
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