岩城けいさん(作家)が、金原瑞人さん(翻訳家)に会いに行く_3
岩城けいさん

希少な言語を守るためにできること

金原 僕が翻訳を始めた頃、アメリカのエスニック文化に興味があって、今でいうネイティブ・アメリカン、当時はアメリカ・インディアンといっていました、それからチカーノと呼ばれるメキシコ系アメリカ人の作品をよく読んで訳していました。かつてネイティブ・アメリカンの国は250くらいあり、言語の種類もたくさんあったなどと言われていますが、それを現代まで受け継いでいる部族がいくつかあり、そのうちの一つが有名なナバホ族です。アリゾナ州の北海道くらいの面積の荒れた土地に暮らしているんですが、そんな何もないところでもナバホ語は生きている。

岩城 英語も話すんですか?

金原 もちろん話します。多くはバイリンガルですね。そのナバホ族の教育関係の人が、毎年うちの大学に遊びに来ていたことがありました。学生に話をしてもらったり、泊まってもらったり。で、あるときミス・ナバホが来たんです。そのときに「ミス・ナバホの条件は?」と聞いたところ、まずナバホ語が話せないといけない。そしてナバホの歴史が語れないといけない。あと、羊を一頭さばけること、という条件もありました。ナバホの男性は怠け者で、女性のほうが働き者なんだそうです。

岩城 とてもさばけない……。

金原 ナバホ族はナバホ語をそういう形できちんと残している、珍しいネイティブ・アメリカンの一族です。赤ん坊が生まれたときから周囲でみんながナバホ語でしゃべっているという環境があって、学校でも英語と両方教えるんだそうですよ。

岩城 やはりそういう場がしっかりあれば残すことができるんですね。

金原 30年くらい前にロサンゼルスで詩人のグループと話したんですが、全員がスペイン語と英語のバイリンガルでした。カリフォルニア州はもともとメキシコで、対メキシコ戦争で、アメリカが併合してしまいます。彼らの祖先は、ある朝起きたらそこはアメリカになっていて、自分たちはアメリカ人になっていたわけです。だからアメリカ政府は、カリフォルニアやニューメキシコ、アリゾナなどの住民にスペイン語の教育を受ける権利を保障しているんです。でも英語を話せるほうが就職に有利だし、お金も稼げるから英語化が進んでいきます。祖父や父親はスペイン語でしゃべるけれど、子どもたちは小学校で英語を習う。だから子ども世代は英語を使うようになる。それで、詩人たちもバイリンガルで話すんです。「どっちを先に覚えた?」と聞くと、7人中3人が英語、3人がスペイン語、あと1人は記憶が曖昧と言っていました。そういう環境さえあればバイリンガルになるのも可能なんだなと思います。

岩城 問題は、そういう形ができない言語の場合ですね。その面からいうと、今構想中の小説は設定としてややディストピア的世界になるのかなと。

金原 楽しみですね。完成したら是非読ませてください。

登場人物が多い作品の一人称と二人称の使い分け

金原 英語の一人称、二人称をどう訳すかというのは面白い話題です。ここで質問。日本語で一人称のI(アイ)の訳語はどのくらいあると思いますか?

岩城 10やそこらでは済まないんじゃないでしょうか。

金原 そうなんです。100以上あるんですよ。では次の問題。これがあるから100以上あるという例を挙げてください、と意地の悪い質問を学生にはするのですが、思いつきますか?

岩城 うーん……、わかりません。

金原 「マサト、これ好きだから」というときのように、自分の名前がIの訳語として使われるときです。名詞や動詞も入れると、いろいろなものをIで表すことができます。これは英語にはないことであり、日本語ならではの特徴です。

岩城 なるほど。確かにそうです。

金原 ではYouはどうか。たとえば僕が翻訳したリック・リオーダンの「パーシー・ジャクソンシリーズ」というファンタジーノベルのシリーズがあって、全部で15冊の物語なんですが、主人公のパーシー以外にもいろいろな仲間が出てくる。パーシーがある人物を呼ぶときは「おまえ」といっているけれど、別の人を呼ぶときは「あなた」や「きみ」になり、「てめえ」ということもある。父親や母親は「父さん」「母さん」なのか「父ちゃん」「母ちゃん」なのか。でも英語では全部Youなんですよね。

岩城けいさん(作家)が、金原瑞人さん(翻訳家)に会いに行く_4
金原瑞人さん

岩城 そうなると、登場人物ごとにリストが必要になるんじゃないですか?

金原 そうなんですよ。だから共訳者の小林みきさんがきちんとリストを作ってくれました。もう一つは、相手を「メイベルは……」と名前で呼ぶ方法です。これだったら間違いがない。この作品のように登場人物が多い場合、人称の使い分けには気を遣います。IとYouで済む言語だと楽だなと思いますね。僕の著書『翻訳エクササイズ』には、そういう人称の話も書いています。

 IとYouで済む人間関係というのは、ある意味、民主的なのかもしれませんね。英語を話しているときに、そういう呪縛から解放されている感覚はありますか?

岩城 病院に行ったときに、日本ではお医者さんのことを「先生」って呼ぶじゃないですか。でもそれも英語ではYou。当たり前ですが先生も私のことをYouと呼ぶんです。だから対等な感じがして、お医者さんに診てもらっているというよりは、医療サービスを受けている感覚になります。そういうときに英語は楽だと思いますね。