アムステルダムで這いまわったジョン・レノン
「当時はまだグルーピーとは呼ばれていなくて、なにかほかの呼ばれ方をしていました。グルーピーが手に入らなければ、娼婦でもなんでも、手に入るものでやっていたのです」(『ビートルズ革命』より)
今でいう「風俗」利用の告白である。まれに外に出られるチャンスに恵まれれば、そこでも狂乱を行った。
「アムステルダムで私が四つん這いになって這いまわった写真があるのをご存知でしょう。娼家から這って出てくるとことか、そういった情景の写真です。そんな私に、人が、〝おはよう、ジョン〟と言っていたりして。警察の護衛つきで、そのようなところへいったのです。派手なスキャンダルをおこしてもらいたくない、という気持ちからでしょう」(同)
おそらくこの種の話はもっとあるのだろうが、ジョンはかなり抑制的に語っている。これには理由があって、この書籍はヤーン・ウェナーというジャーナリストによるインタビューの語り起こしで、現場には、妻のオノ・ヨーコを伴っていた。
いくら20代のころのこととはいえ、妻の前で事実をすべて話すのは気が引ける。ジョンは「ほかのメンバーたちの奥さんも傷つけたくありませんし」と、本心を語っている。
浮気から名曲が誕生した、薬にラリッて名曲が誕生した
ただし、ヨーコと出会う前の「浮気」については率直に語っている。
ビートルズ時代にジョンがつくった名曲の一つに「ノルウェーの森(Norwegian Wood)」がある。タイトルはノルウェー調の家具のことを意味しているとされる。
ジョンはナンパした女の子の家に招かれた。下心たっぷりだったが、かわされてしまい、バスルームで眠るはめになったという歌だ。朝目覚めると、女の子は仕事に出かけてしまっていた。
しかし、この当時ジョンには一人目の妻がいた。シンシアだ。
「妻のシンシアに気づかれずに、ほかの女とのことを書いてみようとしたのです。ですから、非常にややこしい表現になっています。女のアパートとか、そういった、自分が体験したことのなかから書いていたといえます」(『ビートルズ革命』より)
ジョンはプライベートでの体験をどんどん作品に反映させていくことは有名な話だ。二人目の妻、オノ・ヨーコにも多くの曲を作った。
ビートルズ時代の「ジョンとヨーコのバラード」、ソロでの「オー・ヨーコ」「ウーマン」等々をヨーコに捧げてきた。
なお、恋愛だけではなく、薬物体験もまた創作の源になったと語っている。ビートルズ時代の「ヘルプ」は人気絶頂の中、自身の孤独感を歌った曲だ、といった解釈で語られることが多い。実際に本人にそういう気持ちもあったのだろうが、本人はマリファナでつくった、という身もふたもないコメントを同書の中で語っている。
ミックやジョンに限らず、彼らの曲にはこうした私生活が反映されたものは多い。そして、それらは現在の日本の感覚でいえば、かなり不道徳なものともいえる。