「年だからって逃げない、人や時代のせいにしない」76歳の若手芸人「おばあちゃん」が貧乏、乳がん、介護生活を経て笑いにかけた夢_4

NSCの学費振込時に「オレオレ詐欺に間違われて」

おばあちゃんはなぜお笑い芸人になろうと思ったのか。その半生を振り返っていこう。

終戦直後の1947年、4人きょうだいの上から2番目、長女として生まれたおばあちゃん。貧しい子ども時代を過ごす中、唯一の楽しみがラジオだったという。

「途切れ途切れのラジオから、大阪の漫才師の中田ダイマル・ラケットさんの漫才や花菱アチャコさんの流暢なおしゃべりを聞いていました。子どもながらに人を楽しませるっていいなって思ってたんです」

中学卒業後は進学を希望していたが、親が反対。造船所の設計部などで働き、生活のため仕事に明け暮れる日々を過ごした。娯楽を楽しむ暇すらなかったが、依然としてお笑いは好きだった。

結婚後は夫とふたり暮らしをしていたが、38歳のときに乳がんを患い、その1年後に卵巣、6年後に子宮にがんが転移し、入退院を繰り返していた。

だが病気を底力に変えた。47歳のときに念願だった放送大学に入学し、自身の経験をもとにした乳がん手術後の発汗と下着にまつわる研究を進めて卒業論文を発表。それから64歳まで仕事を勤め上げた。

「若い頃から、定年退職後は楽しいことをするのが夢だったんです。テレビだけ見て生活するのはつまらないなって。化粧もせず洋服もあんまり買わずに、老後のためのお金をちょびちょび貯めていたんです」

「年だからって逃げない、人や時代のせいにしない」76歳の若手芸人「おばあちゃん」が貧乏、乳がん、介護生活を経て笑いにかけた夢_5

しかし、退職直後に右ひざの壊死が発覚。手術やリハビリをしながら、高齢者劇団のピンチヒッターとして舞台に出演していた。

「舞台に出ていると専門用語がわからなくて、もっと舞台の勉強をしたいと思って友人に相談したら、電話番号を書いて渡されたんです。電話してみると、吉本の構成作家のコース(YCC)だった。

お笑いにも昔から興味があったんで、NSC(吉本総合芸能学院)の方を紹介してもらったんです。あらためて電話して『70歳なんですけど大丈夫ですか』と聞いたら『大丈夫ですよ』って」

NSCの入学を決めたおばあちゃんは、学費を払いに銀行へ行ったものの、そこでも一難。

「いつも行く信用金庫だったんですけど、何十万円もの金額を一括払い。しかも運悪く閉店間際だったんです。窓口の女の人に『学費の振り込みをしたいんですけど』って言ったら『お孫さんのですか?』と聞かれて、『いや私のです。よくわかんないけどお笑いの学校です』と言ったんです。

そしたらびっくりされて、支店長のところ行って、ふたりでこっちを見て何かずっとしゃべっていてなかなか戻って来ない。オレオレ詐欺と間違えられたんです(笑)」

2018年、71歳でNSC東京校に入学。難病で失明した兄の介護もあり、朝に兄の通院の付き添いをしてからNSCがある神保町へ行くこともあった。

「(NSCに)入れたのはいいものの、ついていけるかなと不安に思ったけど、本当に楽しかった。周りの方たちも優しくしてくださいましたし、本当に毎日わくわくしてたんですよね。毎朝5時起きだったんで、たまにちょっと寝たいなっていうときはありましたけど(笑)」

「年だからって逃げない、人や時代のせいにしない」76歳の若手芸人「おばあちゃん」が貧乏、乳がん、介護生活を経て笑いにかけた夢_6
NSC時代のおばあちゃん(前列左)