胸が締めつけられた母の言葉

久志は真面目な人だ。

取材の中でこんなことを語っていたのが印象的だった。

「僕は善人でありたいと思っています。人に嫌がられることはしたくないし、自分が偉そうに振る舞うのも嫌なんです」

思えば久志は小学生の頃から学級委員、中学生と高校生は部活動の部長といった立場を任される中で、性善説に立って生きてきた。

「僕の周りにはあまり悪い人がいませんでした。人を騙すような人間もいなかった。ニュースを見れば世の中、悪い人がたくさんいたのに気づかなかったのかなぁ……」

「善人でありたい」という久志の人生哲学が、図らずもロマンス詐欺の被害につながったのだとしたら、こんな皮肉な現実もないだろう。

幸子と密に連絡を取り合うようになってから、母には「ある女性とお付き合いがある」とは伝えていた。やっと自分の息子が結婚してくれるかもしれない。そう首を長くして待ち望んでいた母からは「その女性とはいつ会うの?」と何度も尋ねられ、切なさがこみ上げてきた。今さら、騙されていたとは口が裂けても言えない。しかも老後の資金をごっそり奪われていたとは。だから「別れた」とだけ伝えると、返ってきた言葉は、

「ああ、そう……」

それ以降、母の口から「その女性」が出てくることはなかった。

その母は被害に遭って1年ほどが経過した22年夏、脳梗塞を患い、車椅子生活になった。そんな状態の母から、「自分が実家にいると邪魔になるから施設を探して欲しい」と言われ、また胸が締めつけられた。

「母が実家にいると私が結婚できないと思っていたのです。だから施設に入ると。僕には『結婚して欲しい』とずっと言い続けていましたが、あまり言いすぎると僕を責めることになるからと、時々しか口にしなかったんです。それが脳梗塞の退院時にまた出たんです。もちろんいい人が見つかったら母の前に連れてきたいですよ。だけど周りには女性がいないし……」

やっと見つかったと思ったら、金目当ての詐欺師に遭遇してしまった久志。怒りよりも自身の不注意を後悔しながら、今も「結婚したい」と切に願っている。

※被害者個人の特定を避けるために被害者の個人情報を一部変更しています。

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取材・文/水谷竹秀

ルポ 国際ロマンス詐欺 (小学館新書 452) 
水谷 竹秀 
2023年6月1日
1,100円
256ページ
ISBN:978-4098254521
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