サスペンスとしてよくできている『レベッカ』
松浦 『鈍色幻視行』は、豪華客船に一癖も二癖もある半ば正体のわからない人たちが集まって、探偵役の作家が助手役のような夫とともに次々とインタビューして回るという、往年の本格推理小説を彷彿させるプロットになっています。
恩田 アガサ・クリスティ作品のイメージです。
松浦 『オリエント急行の殺人』や『ナイルに死す』のような設定ですよね。そういうワクワク感が物語にずっと流れている。そして、さまざまな小説や映画からの引用が挟み込まれ、その記憶によって物語が重層化、複線化されていく。特に『夜果つるところ』にダフネ・デュ・モーリアの小説『レベッカ』の気配が濃厚に漂っているのが嬉しかった。つまり、ここで舞台となっている墜月荘はマンダレーの館なんですね。
恩田 そのとおりです。
松浦 実は『レベッカ』というのは、僕が生まれて初めて読んだ大人の小説なんです。
恩田 そうなんですか。いきなり『レベッカ』とは(笑)。
松浦 子どもの頃、ミステリとSFはまあ、面白いからふつうに読むじゃないですか。それが中学生になって、中学二年のときだと思うけれど、まだ「新社」になる前の河出書房から、背表紙が黄色いソフトカバーの〈ポケット版世界の文学〉シリーズというのが出ていて、その一冊だった『レベッカ』と出会ったんです。他にはマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』とか、そういったライトなというか、少々「通俗的」なラインアップの叢書でした。『レベッカ』はそれまで読んできたクリスティやエラリー・クイーンとはさすがに格調が段違いで、こういうふうにくどくど書いていくのが「大人の小説」なんだなとやや辟易しながら、しかし結局だんだんと熱が入り、最後には夢中になって一気に読んでしまいました。二階の和室に寝転んで、日が翳ってゆく中、明かりも点けずにページをめくり続け、最後のページまで来たらもうほとんど夕方になっていて、薄暗がりの中で茫然と目を上げたといった記憶があるんです。物語というのは本当に面白いものなんだということを初めて味わわせてくれた、僕にとって大事な小説です。恩田さんはいつ頃読まれたのですか?
恩田 私も中学生くらいだったと思います。昔の新潮文庫で。
松浦 大久保康雄訳ですね。
恩田 ずっと忘れていたのですが、新訳で文庫解説を書くことになり、再読したらやっぱりすごく面白かった。そして本当にびっくりしたんです。最後の一行に。
松浦 灰が飛んでくるだけ、という。
恩田 そうです。マンダレーが燃えたとか、そういうことは一切書かれていない。あれは衝撃でした。アルフレッド・ヒッチコックの撮った映画の印象が強いので、作品のラストとしてどうしても炎上シーンを思い浮かべるじゃないですか。
松浦 黒髪をひっつめにしたダンヴァース夫人が立っていて、その背後に炎がぶわーっと燃え上がって……。怖いですよね。
恩田 怖い。でもヒロインにずっとプレッシャーをかけていた夫人が、最後に見せる悲しみの表情に、すごくしびれたのは今でも鮮明に覚えています。
松浦 『夜果つるところ』の最後も火事で終わります。あそこで一挙にカタルシスが訪れる。
恩田 やっぱり最後は炎上しないとね、という感じです。
松浦 僕は高校生になった頃からヒッチコックにも熱烈に入れ揚げるようになったんで、『レベッカ』も繰り返し観ています。最初のショットでキャメラが前進移動してマンダレーの館に近づいていく。そこに、『鈍色幻視行』の第三十三章でも引用されている、「ゆうべ、またマンダレーに行った夢を見た」という独白が重なっていく。
恩田 素晴らしいですよね。
松浦 「また」という一語が肝心なんですよね。否応なしにどうしても繰り返し戻っていってしまうという、主人公に取り憑いたオブセッションの表現。
恩田 そうなんですよ。主人公に名前がないところにも驚きます。どこにも書かれていない。とにかく名前が目立つのはレベッカのみ。
松浦 映画では、枕に刺繍された“Rebecca”の文字が妖しい存在感を主張している。その名前が最後に燃え上がり、滅びていく。恩田さんが『レベッカ』をお好きだというのはとても嬉しいです。
恩田 サスペンスとして本当によくできているんです。こういう小説はいいなと思いますね。
創作はオマージュか演出を変えることでしか生まれない
恩田 松浦さんが今年上梓された『香港陥落』にも、シェイクスピアの引用がたくさん出てきます。
松浦 『香港陥落』の場合は、何しろ英国領香港ですから、とにかくブリティッシュ・エレガンスみたいなものを出してみたかった。それでシェイクスピアの引用ばかり頭に詰め込んでいる日本人と英国人を登場させてみました。日本では和歌や俳句が基本教養になっているのと同じように、イギリスではそれがシェイクスピアのセリフになる。いちいちの場面に相応しいシェイクスピアの引用を探すのが、とても楽しかった。
やはり文学というのは一冊一冊が単独で存在しているわけではなくて、膨大な集合的記憶の層がまずあって、その腐植土から芽生えてくるものですよね。作家はみんな、文学共和国の広大な記憶の空間を背後に背負っている。一つの作品から別の作品が生まれ、それがどこまでも連なって、錯綜したネットワークをかたちづくっていくわけで。
恩田 『香港陥落』自体が『名誉と恍惚』のサイドBのような小説じゃないですか。
松浦 そうなんです。『名誉と恍惚』から『香港陥落』へと物語の川は自然に流れこんでいく。
恩田 いろいろな作品が繋がっていくのが興味深いです。創作には真から新しいものはなくて、オマージュか、演出を変えることしかできないと考えています。その流れに乗って自分も作っているし、誰かが乗っていってくれればいいと思いながら、いつも書いている。
ところで、『香港陥落』は、実際に香港に行かれて書かれたのでしょうか。
松浦 ほとんど想像で作ったものですね。
恩田 食事のシーンに出てくるどのメニューも美味しそうで、モデルになったお店があるのかと思いました。
松浦 もしあったらぜひ行ってみたい(笑)。『名誉と恍惚』の上海も同じで、ほぼぜんぶ想像の産物です。上海も香港も、短期間の観光旅行で昔ちょっと行ったことがあるだけで、それを何となく思い出しながら書いたものです。そもそも戦前・戦中の話ですから、今の上海や香港に行ってみても「取材」のしようがないし。
恩田さんは『鈍色幻視行』を書く前に、船旅を体験されたんですか?
恩田 作品に出てくるコースどおりに回る、約二週間のクルーズツアーに参加しました。大変面白かったです。豪華客船というのは舞台性が強くて、乗客もどこか演じているような感覚がすごくあります。そしてある種の大きな密室だから、常に閉塞感と開放感がアンビバレンツに張り付いているような感じ。虚構性が高く、非日常感が漂っていました。最後の寄港地が香港で、夜、船が離れていくときに、明るく輝いている美しい場所が少しずつ小さくなっていく、その過程がとても印象に残っています。あれは寂しかった……。
松浦 香港の夜景が遠ざかっていくのか。いいですね。
恩田 『鈍色幻視行』は船の中という固定のシチュエーションですが、『香港陥落』もペニンシュラ・ホテルのレストランと、路地奥の中国料理店という決まった場所から定点観測的な視点で書かれています。
松浦 もともとは「戦争小説」の特集に寄稿を求められたのですが、戦闘シーンなんて書けないというか、書きたくもない。どうしようかと悩んでいるうちに、ある場所でただ食べて話しているだけで、それでも「戦争小説」になっているという趣向にしようということになりました。一方はペニンシュラ・ホテルの豪華レストラン、他方は香港島の心寂(うらさび)れた小さい汁飯屋みたいなところにして、くたびれた男たちが戦前、戦中、戦後という時間の流れを貫通して、ただひたすら食べて話している。そういう「戦争小説」。
恩田 ぐっとくる設定ですね。
松浦 面白く読んでもらえるかどうかはわかりませんが、書いている分には楽しかったです。
恩田さんの膨大な仕事量を拝見すると、書くことの快楽を感じておられるのかなと思いますが、いかがでしょう。
恩田 それはないですね。執筆中は大体苦しい。完成した瞬間だけです、楽しいのは。
松浦 こんなにたくさん執筆されている恩田さんでもそうなんですね。以前、毎月一人の作家や詩人をゲストに招いてインタビューするというラジオ番組をやっていたんですが、何十人もの作家に会った中で、「書くのは楽しいです」と朗らかに断言されたのは、西加奈子さんただ一人でした。そういう作家もいるのかと感心してしまいました。僕自身はやはり、文章を書くのは辛くて仕方がない。ワークというよりはレイバー、労役とか苦役といった感じ。書き終えた瞬間はおっしゃるように、本当に目の前がさあっと明るくなっていくような快楽がありますね。