タイトルは「バーン!」と出てくる

野木 話は変わるんですけど、恩田さんの小説はどれも素敵なタイトルですよね。『蜜蜂と遠雷』もそうだし、『六番目の小夜子』『夜のピクニック』も。『三月は深き紅の淵を』は、なんてかっこいいタイトルなんだと思って、新刊の時にタイトル買いしました。『鈍色幻視行』も、作中作の『夜果つるところ』もいいですよね。私、タイトルが思い付かなくて悩むことが多いのでぜひ伺いたいんですけど、どうやって決めてるんですか。
恩田 私はタイトルが決まらないと書けないんですよ。何となく雰囲気があって、タイトルが出てきてようやく書き始められる。
野木 『鈍色幻視行』だったら、グレーの海のイメージがあって、とか?
恩田 そうですね。映画のポスターのようなものを思い浮かべるんです。映画のポスターって作品の雰囲気が出てるじゃないですか。暗いとか、明るいとか、青春ものとか、ホラーものとか一目でわかる。そこにタイトルがバーン! と出てくる感じ。それが浮かばないと書けないです。
野木 すごい……。でも、まったく参考にならなかった(笑)。バーン! っていつ来るんですか? どこからどうバーン! に行き着くのかを知りたいです。
恩田 普段からいつもタイトルを考えているんです。タイトルを考えるのが好きなんですね。
野木 考えるのは何かキーワードを見つけた時ですか? それとも情景を見た時とか?
恩田 いろいろですね。本当にいろいろ。たとえば映画を見て、私だったらこの結末にしない、みたいなきっかけでひらめく時もあるし、昔読んだあの本のイメージで、といったことを考えていて出てくることもあるし。野木さんの『けもなれ(獣になれない私たち)』は面白いタイトルだと思うんですが、すぐに出てきたんですか?
野木 『けもなれ』はそうですね、すぐというわけでもないですけど、プロットを考えて、企画書を作った時に付けたような気がします。でもあれ、すごく反対されたんですよ。
恩田 いいタイトルなのに、どうしてですか。
野木 「どんな話なのかわからない」とか「キャッチーじゃない」みたいなことを言われて。しかも、他のありきたりなタイトルと並べられて視聴者モニターにアンケートを採ったら、『獣になれない私たち』が一番得票数が少なくて。でも、「そんな可も不可もないタイトル付けるぐらいだったら、一番ピンとこないものを付けたほうが逆にいいんじゃないか」って説得して通したんです。恩田さんに褒めていただけて嬉しいです。

わかりやすさとわからなさ

――『鈍色幻視行』の中で映画評論家の武井京太郎がインタビューに答えて「真実があるのは、虚構の中だけだ」と言いますよね。お二人は小説と脚本という違いはありますが、虚構を作るという共通点があります。フィクションの持つ力についてはどうお考えでしょうか。

恩田 その武井が言ったことについては、わりと私自身の本音ですね。虚構でなければ語れない真実があると普段から思っています。
野木 私、読んでいてそのページの角を折りました。「人生の中に真実はないのさ」というセリフ。ないか、そうかあ、って。
恩田 虚構の中で真実に触れる瞬間があるっていう実感があるんですよね。リア充が何だっていう。現実の人生が充実したからって、そこに真実があるわけじゃない。
野木 でも、世の中には虚構を必要としない人もいますよね。映画もドラマも見ない、小説も読まない人。
恩田 いますね。そういう人が見ている世界ってどういう世界なんだろうって、それはそれで興味深いんですけど、自分がそうなりたいとは思わないですね。
野木 私もそうですね。気が付いた時には虚構に触れている人生だったので。でも、同じ虚構でも、映像よりも小説のほうが自由だなって、よく思います。
恩田 そうですか。どんなところが?
野木 小説って、どれだけぶっ飛んだ人物、ぶっ飛んだ世界観でもいいというか。ドラマって共感を優先するところがあるんですよ。でも、共感を呼ぶものだけだと世界が狭くなるんですよね。そこは普段から脚本を書いていて、ジレンマとしてありますね。世の中、共感一色も気持ち悪いじゃないですか。
恩田 気持ち悪いですよね。
野木 だから、私の場合は共感できる人物を置きつつ、いかにそれとは違うものをドラマに忍び込ませるか、ということをやっています。自分とは違う人物、理解できない人物を少しでも登場させて、共感だけがすべてじゃないよねってことを提示できたらいいなと思ってるんです。

――共感というお話が出ましたが、わかりやすさはどうですか。視聴者なり読者にとってのわかりやすさは意識されていますか。

野木 作品によって違いますね。映画はわかりにくくてもやっちゃえってところはありますけど、ドラマだと放送時間帯とか対象年齢にもよります。たとえばテレビ東京の深夜枠だったら、大人がわかればいいじゃないですか。『コタキ兄弟と四苦八苦』なんかはそうですね。でも『MIU404』なんかは、プロデューサーから「小学生にもわかるように」って言われましたから。
恩田 ムチャ振りですね(笑)。
野木 ですよね(笑)。「何言ってんだよ」とか文句言いながら、でも、一応目配せはする、みたいなことはあります。『フェンス』の場合は、有料放送のWOWOWだし、ハイブローなところを狙ってはいたんですけど、そもそも沖縄に対する知識がない視聴者が多いはずなので、そこはわかるようにしないと伝わらない。
恩田 わかりやすさって難しいですね。私はトレンドは意識しないし、そもそも最大公約数は目指さない。自分と同じようなものを好きであろう人が一定数はいるだろうと思っていて、その人たちに向けて書いているので、わかりやすいかって言われると……。
野木 読みやすさは考えますか。
恩田 読みやすさは考えます。
野木 『鈍色幻視行』はつるつる読めました。
恩田 つるつる読んでもらいたい。そのあたりは気にしますけど、わかりやすい題材を書こうとは思わない。今の時代に合わせてもどうせすぐ古くなるし。
野木 「今こういうものが受けてるから書いてよ」みたいなものは書かないってことですよね。それ、ダメなテレビマンがやりがちな提案です(笑)。
恩田 こんなに移り変わりが速い時代で、しかもコンテンツは少数多品種。何が当たるかなんて誰にもわからない。自分の好きなものをやるしかないと思っています。でも、私は自分をエンタメ作家だと思っているので、リーダビリティーは大事にします。でも、リーダビリティーとわかりやすさがイコールなのかというと別にそうではないんですよね。
野木 わかります! わからないものが面白い、というのが「わかります」(笑)。『鈍色幻視行』も読みやすいけど、ある意味、わからない話でもありますよね。でも、現実だって結局、わからないわけで。
恩田 そう、わからない。でも、それも面白さの一つなんじゃないかっていうのを、フィクションでやっていきたいと私は考えています。

「小説すばる」2023年7月号転載

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