ドロドロすぎる…男だけのHな世界

そんなころ「家成邸追捕事件」(一一五一年)が起きる。藤原頼長が〝無二ニアイシ寵シケル〟つまりは愛人である秦公春に命じ、藤原家成邸に乱入させたのです。日本古典文学大系の『愚管抄』の補注によると、その前に家成の家人が頼長の雑色(雑役係の下男)を搦め取ったからなのですが、天台座主の慈円によれば、家成を寵愛していた鳥羽院はこれを機に頼長を疎んじるようになります(『愚管抄』巻第四)。

頼長は愛人の公春に命じて、鳥羽院の愛人の家成邸に狼藉を働いたという、双方、男色絡みの事件なわけです。

そして久寿二(一一五五)年、近衛天皇が死に、璋子腹の後白河天皇が即位。翌年、鳥羽院が死去するのですが、相変わらず政治から閉め出されていた崇徳院は父の最期に会うこともゆるされませんでした。鳥羽院がこれほど第一皇子の崇徳院を憎むのには理由があって、実は崇徳院は、鳥羽院の祖父白河院のタネであり、当時の人は〝皆な之れを知るか〟という状態でした。鳥羽院にとって崇徳院は叔父に当たるため、鳥羽院は彼を〝叔父子〟と呼んでいた。それで崩御時も、〝新院にみすな〟(崇徳院に見せるな)と遺言したため、崇徳院は会えなかったのです(『古事談』巻第二)。

崇徳院の母璋子は白河院の養女で、幼いころは〝白河院の御懐に御足さし入れて、昼も御殿籠り〟(『今鏡』「藤波の上 第四」)という状態でしたから、鳥羽院に入内する前から白河院と関係があったのでしょう。角田文衛は璋子の生理周期から崇徳の実父は白河院としています(『待賢門院璋子の生涯――椒庭秘抄』)。

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亡き源信雅は顔は美形だが肛門がよくない

一方、摂関家では、藤原忠実が、いったんは正妻腹の忠通に譲った〝藤氏長者〟(藤原氏の氏長者。一族トップの地位)を取り上げて、下の子の頼長に譲ってしまうということがありました(『愚管抄』巻第四)。そのため、兄忠通と異母弟の頼長は不仲となっていました。

さらに武士の世界では、源氏の棟梁である源為義と、長男の義朝は長年、不仲だった(同前)。

こうした家族関係を孕みつつ、保元の乱では兄弟親子が敵味方に分かれて戦うことになります。

しかもこの戦いを構成するメンバーも、深く男色と関わっています。 
まず崇徳上皇方の頼長は言うまでもなく、父の忠実も男色を嗜んでおり、忠実のことばを記録した『富家語』には、〝故信雅朝臣は面は美くて後は頗る劣れり。男は成雅朝臣なり。成雅は面は劣りて後の厳親に勝るなり。これに因りて甚だ幸ひするなり〟と、ある。

亡き源信雅は顔は美形だが肛門が良くない、一方、息子の成雅は顔は劣るが肛門が親にまさっている、そのため深く寵愛しているのだ、というのです。