グランマンマーレの足元が隠された理由 

多分、フジモトも歳を取ってこういう作業ができなくなってしまったら、グランマンマーレに同化してしまうのではないでしょうか。『エヴァ』の人類補完計画のような結末でしょうか。その時にフジモト自身がそれを嫌がるのか喜ぶのか、あるいは怖がるのか。この世界観のなかではちょっとわかりません。案外、喜ぶのかもしれませんね。

物語の最後、グランマンマーレが陸に上がります。ポニョと宗助の今後をどうするか、リサと立ち話で話し合っているシーンです。

『ポニョ』を見返す機会のある方はぜひ、グランマンマーレの足元に注目してください。どのカットでも、グランマンマーレの足元は手前の花に隠されています。1カットだけでなく、どのカットでもそのようにしているので、これは意図的なレイアウトです。 

これには、いくつかの説明がつきます。 
まず単純に、グランマンマーレの足元をうまく描けなかったという説。海の象徴なので人魚のしっぽにするべきか、あるいは幽霊のように足を描かずにフェードアウトさせるか、いっそ素直に人間と同じような足を描くか。どれもしっくりこないので隠して逃げたという説明がひとつ目です。

〈ジブリアニメ大解剖〉本当の『崖の上のポニョ』。宗助へのストーカー的ラブとこれ以上ない“恐怖の結末”…母・グランマンマーレも「男を食い散らかす」ヤバイ女だった!?_3

陸に上がって見えている人間の姿はチョウチンの先 

ふたつ目。観音様の蓮の花よろしく、神々しさの演出。 
最後が一番おもしろい説で僕がぜひ提唱したいのですが、花で見えなくなっている裏に、実は触手が隠されているのではというものです。 

グランマンマーレはチョウチンアンコウですし、海の象徴でもあります。映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』に登場するデイヴィ・ジョーンズと同じように、陸に上がれないのではないでしょうか。 

陸に上がれないはずのグランマンマーレがではどうやって陸に上がっているかというと、実は陸に上がってないのです。陸に上がって見えている人間の姿をチョウチンの先で、触手が伸びて本体はまだ海のなか、という解釈です。この解釈ならグランマンマーレの設定が生きますし、宮崎駿ならそんな荒唐無稽な発想もありえる気がします。