良質の業が文化を生んでいく

ニコル 戦争と戦争の間にいた人たちだから、彼らは貧しかったし、常にハングリーで、革新の可能性を探っていたんだと思う。いつもお腹がすいている状態というか。

ヤマザキ そういうことでしょう。何を食べても満足できない。満足できないというのは一種の苦しみなんですけど、その苦しみと共生できている。そういう精神的なしぶとさを、最近私は、「良質の業」という言い方をしているんです。

ニコル 良質の業ですか。

ヤマザキ 業とは仏教用語のカルマのことです。もともとはいいことも悪いこともひっくるめた人間の行為のことですが、理性によって制御できない心の動きという意味もあります。業があればあるほど悩みや葛藤も生まれる。だったらいっそ、仏教が言うようにこうした煩悩が払拭されたほうが楽かもしれない。そりゃ楽でしょう。ただ、業を払拭したら文化は生まれてこないんですよ。芸術は無くていいものになる。だったらなぜ人間には想像力を形にかえる技能が備わっているんだ、という話になる。業は人間が共生していくためにある一つの試練でもあると思うわけです。それにはどんな業でもいいわけではない。良質の業というのが必要になってくる。そのカルマを触発し合うことが文化のムーブメントを作っていくのだと思うんですよ。

ニコル なるほど。業と好奇心=curiosityとは近くありませんか。今使われているcuriosityは、「興味があって、調べてみたい」といったような感じで、意味がちょっと軽いんですが、十九世紀から二十世紀初頭のヨーロッパでは、もっと深いところから人を動かす衝動を意味する言葉として使われていたんですね。

ヤマザキ curiousは好奇心、という意味もありますが、確かに業を生かした言葉ですね。イタリア語でもcuriosoと言うと、今見ているもの、聞こえていることだけでは満足できない人という意味になります。懐疑性にも近いですね。

ニコル うん、人が「黒」と言うと「白」を考える。つまり予定調和にならずに、いろんな視点で物事を見て考える。英語で言うと“here and there”。これは本当に大事なことです。主体は常に自分で、考え始める。これが好奇心。

ヤマザキ しかし、日本でこのcurious性を丸出しにすると「おまえ、めんどくさい」と言われるんですよ。

ニコル そうなんですよ。同調圧力ですね。

ヤマザキ 今の世の中は、特に日本はですね、燃費の悪いものを拒否する傾向が強い。今の若い人たちの多くは、二十キロ行くのにガソリンを一リットルしか使いたくない。極端になると、ガソリンを使わないために移動すらしたくない。でも私の場合はちょっとその辺へ行くだけで三十でも四十でも使ってしまう。あんたを見ていると疲れると人に言われても尤もです。しかも途中でエンコしたりとおまけがついてくる。見てる方は勘弁してくださいとなる。わかりますよね?

ニコル わかりますよ、同類だから。私も、絶対寄り道してガソリン切れするタイプ(笑)。

ヤマザキ 寄り道大事。行きたいところに行った帰りに同じ道を通りたくない。別の道を行けば、もしかしたら新しい発見があるかもしれないじゃないですか。

ニコル その意味では、私も相当燃費が悪いです。

ヤマザキ そうじゃなかったら大英博物館のマンガ展なんてできません(笑)。一つのことを調べていると、自分が探しているワードがわかればそれでいいはずなのに、そこに至るまでにありとあらゆるところを調べてしまって、全然ゴールに辿り着かない。そうして一日が終わったりする。効率の悪さは半端ありません。夫が仏教に嵌っていた時はマインドフルネスとか瞑想を勧められましたが、私にはできない。気持ちを穏やかにして自分と向き合う時間も大事だとは思いますが、無駄と思えるような思考を巡らせることも人間には必要だと思うのです。燃費の悪い人はどこかでしっかりメンタルの休息も取ってますからね。とにかく業は人間という生きものの最も特異な点だと思うので、うまく付き合っていきたい。

ニコル 悟りを開いてあの世に行きたいなら業をなくすのもいいでしょうけど、私たちはこの世に生きているんですよ。私は燃費が悪くても、寄り道も遠回りも失敗もして、この世の面白さを堪能してから死にたい。

ヤマザキ 『人類三千年の幸福論』の中でも言っていますが、私たち人間は肉体と精神の二つを対等に養いながら、バランスを取って生きていかねばならない存在です。お金だけ稼いで、いい暮らしをして、体のことばかり優先して考えがちだけど、頭に栄養を与えていかないと人間はどんどん野蛮化してしまう。そのためにも燃費の悪い行為こそ必要だと思うのです。

ニコル ピカソの時代に文化の担い手になった人たちは、ヤマザキさんの言う良質の業をみんな持っていた気がする。curiousと同意のね。お腹を空かせながらも、簡単には答えに辿り着けない問いをたくさん立てて、試行錯誤して、互いに影響を与え合いながら、それぞれの表現を磨いていった。やっぱりそういう時代を経験した人は、かっこいい年寄りになると思う。

独善的な若者が増えるフェーズに

――少し前に、ある経済学者が、「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」という発言をして、『ニューヨーク・タイムズ』の記事にもなり、世界的に物議をかもしたんですが、ご存知ですか。

ニコル もちろん知っていますよ。記事も読んだし、この過激な発言が海外でも波紋を呼んで、いろんな識者が批判的なコメントを寄せていましたね。

ヤマザキ ニコルさん、詳しい。私は全然知らなかった。つまり、年寄りは姥捨て山に行けってことを言いたいの?

ニコル そうそう。私が学生時代に、ハーバード大学で日本語を勉強しようとしていたとき、織田信長の末裔という人に会って、その人から頂いた本に「姥捨て山」という言葉があって、すごい風習だなとびっくりした覚えがあります。

ヤマザキ ちなみに捨てられる対象は、六十歳以上なんだそうですよ。だから周りには、六十歳以上はいない。山に行っていなきゃいけないんです。

ニコル 還暦を迎えると捨てられてしまう……。その経済学者も今は若くて元気だからそういう強気な発言をしているけれど、年を取ると意見が変わるんじゃないですか。

ヤマザキ しかし、老人の集団自決という、その発想はどこから来たんですかね(笑)。

ニコル 老人たちが既得権益を握って手放さないから、日本は世代交代が進まずに、若い人たちが割を食っているということでしょう。でも権力を持っている高齢者は一部の人たちでしょう。記事を読むと、彼は優秀で、東大に入り、アメリカの有名大学に所属もしていますけど、彼の人生の中で何かがずれているような気がするんですよ。

ヤマザキ 既得権益問題はイタリアでも深刻化していますが、姥捨て山に行けとまではまだなっていない。でも、今はそういう考え方をする若者がどんどん増えて来ていますね。いい悪いじゃなく、そういう人たちが生まれてくるフェーズなんですよ。こうした傾向が臨界点にまで到達すると、そこからまた新しい何かが生まれてくる。そんな発言を聞いたら、何をばかなことをと思っていたんですけど、最近はああ、そういう若者が出てくる時代になってきたんだと、冷静に向き合えるようになりました。
 やはり燃費の向上は感受性や想像力を乏しくしてしまうということじゃないですか。東大に行く若者は、人生の勝ち組じゃなきゃいけない、人生成功しなきゃいけないと、いろんなものを託されて、それを人生の目標に掲げなければいけない。人の上に君臨する人間でなければならないと思い込まされる。煩悩に突き動かされているにしても、こういうのは私的には良質の業とは言えない。

ニコル うんうん。

ヤマザキ 目標だの理想だのを掲げ、それを効率よく目指そうと躍起になると、見たいものだけ見ればいい、知りたいことだけ知ればいい、人間としてのエネルギーが衰退している老人は要らない、余計なものは全部払拭してしまえということになる。いつだったか文科省が、国立大学に、人文社会科学系の学部の廃止・転換を求める、という姿勢を打ち出して世界中を驚かせましたけど、ああいう信じられない視野狭窄的なことを平気で言葉にする人が普通に増えてきているように思います。

ニコル 芸術家が年を重ねたことで、自分が見たいものだけに無邪気に集中するという意味合いとは、全く違うことですね。

ヤマザキ そうです。老人たちはもう見たくもないものを見つくしてお腹がいっぱいだからいいんですよ。

ニコル 自分に都合の悪いもの、役に立たないものは、どんどん切り捨てていく。そういうことを彼らは常に計算していると思います。アカデミアで自分が上に上がるためには、自分の記事やコメントがどれだけ引用されるか、影響力があるかが、出世の大事なポイントなんですよ。競争が激しいですからね。でも、その経済学者は自分の強気の発言が社会の活性剤になり、より注目されると計算していたと思いますが、やりすぎた感がありますね。

ヤマザキ なんとも虚しい。

ニコル 全部計算の上のことだったと思いますが、結局のところ、自分のことしか見えておらず、わかっていなかった。

ヤマザキ こうすればこうなるという計算図式はあっても、内容の隅々まで考察の網が巡らされていない。形だけ立派でも経験値が伴わないとどこかでほつれが出てきて崩壊してしまう。理論武装してぺらぺらしゃべる能力には長けているのに、それを頭の良さと思わせる焦りばかりが感じられて中身がない。どの言葉からも説得力の粒子が放出されていない。そんな感慨を覚えます。

hamster wheel の外へ

ヤマザキ もともと老人に居辛さを感じさせる日本の社会ではありますが、最近はその傾向が特に顕著じゃありませんかね。先ほどの人もそうですが、高学歴の人に老人排除の意識が強いように感じるのは、彼らの親の存在が起因しているのではないかと思うのです。具体的に言えば、母親をすごく嫌がる高学歴者が多い。と同時に親依存の高学歴者も多い。社会で成功組になってほしいと必死で子供を育てた親の熱意が毒となり、そこから老人嫌いが発生している可能性もある。毒親ってやつですね。東大出身の女性に聞いたんですけど、かつて付き合っていた彼氏が性交渉している最中に「お母さん」とか「ママ」と叫ぶというんです。びっくりしていると、そこにいた別の東大卒の女性も「それ本当です」と真面目な顔でうなずいていました。同じ男じゃないの!? って勘繰ったんですけど(笑)。

ニコル
 英語では「ヘリコプター・マザー」と言いますが、日本でもそういう言葉ありますか。ちょっと困ると、すぐ、ばっと寄ってくる母親のことです。

ヤマザキ ドラえもんみたいな? 「ドラえもーん」って叫ぶと、お母さんがピューッと寄ってくるあの現象ですか。

ニコル そうそう(笑)。大学生でも、何かちょっと困ると、びゅーんと飛んで来て、あれこれと世話を焼く。

ヤマザキ 高学歴と言われる大学に入るような子供たちの教育は幼少期から、お母さんが付きっきりですからね。もちろん全員がそうではないのでしょうけど、大多数は、お母さんたちが何とかこの子を成功させなきゃ、社会の脱落者にならないために頑張ろうと、小さいときから塾に行かせて、かかりっ切りで世話を焼いてきたはずです。
 そうなると、子供にとって母親は、この世ですがるべき唯一神みたいな感じになってしまう。その具体例がローマ皇帝ネロですが、やはりそういう人間は軸が脆くて、自分を支えることができなくなり、崩壊していくんですね。実際、高学歴のエリートと呼ばれる人たちの中には親を嫌う人が少なくない。そんなリアクションを見るたびに、酷い目にたくさん遭ったんだなと思う。老人に対しての怨嗟とか、何か処理できないものを持っている人には一筋縄ではいかないバックグラウンドがあると見た。

ニコル ヤマザキさんの漫画のテーマでもあると思うんですが、歴史では繰り返し繰り返し同様のことが起きますよね。今のアメリカは、ローマ帝国の末期に当たると私は感じています。この繰り返しは人類が存続する限り、ずっとぐるぐると続くわけです。ハムスターが回し車をぐるぐる回すみたいに繰り返すことを、英語の言い方でhamster wheelと言うんですが、人類の課題は、この回転するハムスター・ホイールからどう降りるか、あるいは、このぐるぐるをどう止めて、違う方向に進めるか、ということだと思っているんです。

ヤマザキ 方法ですね。手段。

ニコル 回転の外に出ていくことが、私たち人類の大事なチャレンジじゃないかと。

ヤマザキ わかります。でも今の日本はハムスターのように回し車の中に入ってみんなで一斉に回し続けているから、その外には出られないんですよ。出ようと立ち止まると遠心力で吹っ飛ばされてしまいます。

ニコル 今の若い人たちの話を聞いていて、すごくそういう閉塞感を覚えましたね。

ヤマザキ 普通は一個の回し車に一匹のハムスターが乗っていますけど、日本の場合は、すごい巨大な回し車にめっちゃくちゃたくさんの人が乗って回している印象がある。そこから出るにはよほどの勇気が必要でしょう。暴走する列車から飛び降りるのと同じです。死ぬかもしれないし、生き延びても骨くらいは折れる覚悟が必要。死にたくもないし怪我もしたくないから、外へ出ていかないのが生き抜く術となっている。例えば老いの問題に関しても、老いについてのある種の一方的な見解の回し車があって、そこにみんなが「俺も入れて入れて」と群がっている状態です。
 でも、さっきも言ったように、これは現象なので、どこかで必ず臨界点が訪れる。その可能性は歴史が立証しています。古代ローマが終わって今は中世への差し掛かり。回し車は徐々に加速しますが、そこで突然回し車からうまいこと飛び降りる術を得た人間が現れる。そしてルネサンスとなる。時間はかかるけど、そういう時機が巡ってくる可能性は確実にある。

ニコル 私の祖父は、世界大恐慌の時代を生き抜いた人ですが、経済や人の気力がダウンしているときこそ考えるチャンスだとよく言っていましたね。貧しくてろくに仕事もないけど、逆に考える時間はいっぱいあると。
 江戸の中期に売茶翁(ばいさおう)(黄檗宗の僧侶・煎茶人)という人がいましたね。格式のある茶の湯ではなく、普通の煎茶を売り歩きながら、人々と話し、新しい風景を眺め、新しい道を模索していた人です。そういう在り方も、回し車を外れて自分の道を歩むことなのかなと考えたりします。だから回し車の外に出るために、大げさなことをする必要はない。面倒くさいと言われても、いろんな可能性を考えて、考えるパターンを変えていく。そしてそれを誰かと共有する。今の私とヤマザキさんのように。そういうことが一方向にのみ回り続ける回し車のような思考の一端を崩していくことになるんじゃないかと思う。

ヤマザキ 私たちの話を聞いて、回し車を回しながらも違和感を覚える人が一人くらいは出てくるかもしれない。

ニコル 売茶翁のお茶じゃないですが、一服すると、考えの中に何か違うことが出てきて、とらわれているものから離脱できるかもしれない。

「老いの神髄は『良質の業(カルマ)』にあり」 ヤマザキマリ×ニコル・クーリッジ・ルマニエール 『人類三千年の幸福論 ニコル・クーリッジ・ルマニエールとの対話』_4
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