インディーズ生まれ、今年還暦を迎えたKERA

ケラリーノ・サンドロヴィッチ
通称・KERA
1963年生まれの60歳

1982年、ニューウェイヴバンド「有頂天」を結成。インディーズ・レーベル「ナゴムレコード」を立ち上げ、70を超えるレコード・CDをプロデュースする。
並行して1985年に「劇団健康」を旗揚げ、演劇活動を開始。1992年解散、1993年に「ナイロン100℃」を始動。1999年『フローズン・ビーチ』で第43回岸田國士戯曲賞を受賞、現在は同賞の選考委員を務める。
演劇活動では劇団公演に加え、「KERA・MAP」「ケムリ研究室」などのユニットも主宰するほか、外部プロデュース公演への作・演出も多数。紫綬褒章はじめ受賞歴多数。
音楽活動では、ソロ活動のほか、2014年に再結成されたバンド「有頂天」や、「KERA & Broken Flowers」、鈴木慶一とのユニット「No Lie-Sense」などでボーカルを務める。

以上は、所属事務所のHPに掲載されている公式プロフィールを、少しはしょったりアレンジしたりしたものだが、僕にとっての氏は、なんと言っても80年代に一世を風靡した、“インディーズ御三家”の一角である、あの有頂天のボーカリスト・KERAだ。

2023年3月25日、恵比寿ザ・ガーデンホールで開催された「KERA 還暦記念ライブ〜KERALINO SANDOROVICH 60th Birth Anniversary Live〜」より。(撮影/江隈麗志)
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KERAがバズった1985年の真夏の一夜

僕はKERAという人は、日本初の“バズり男”だと思っている。
現代用語解説的に言えば「バズる」とは、SNSやインターネット上などで、多くの人から急速に注目を浴びることを指す。もちろんKERAが世に出てきた1980年代にインターネットはなかったのだが、まったくの無名だったKERAは、テレビメディアを通じて一夜にして超話題の人物になったのだ。
1985年8月8日午後10時からNHKで放送された、『インディーズの襲来』という、30分ドキュメンタリー番組が、現在のKERAにつながる“BUZZ=ざわめき”のスタートである。

日本の音楽業界の一隅では、その数年前から小さな地殻変動が始まっていた。既存のメジャーレコード会社からは相手にされない、パンク&ニューウェイヴ系のマニアックなバンドたちが、自主制作した自分たちのレコードを、みずから立ち上げた小さなレコードレーベルから発売するようになり、徐々に若者たちの支持を集めていたのだ。

『インディーズの襲来』は、そんな新しい若者カルチャーをレポートする番組。NHK側の当初の想定では、主役は、アンダーグラウンドながら人気が著しく高まっていたパンクバンド、ラフィンノーズとウィラードだった。
ところが番組中盤で突然登場したある男が、視聴者の関心をかっさらってしまう。ライブ会場でマイクを向けられたその男こそKERAなのだが、妙な外国人キャラになりきり、カタコトの日本語で、主宰するナゴムレコードの窮状を訴えはじめた。
「買エ! 買ワナイカライケナイゾ!」と。

番組ではそのKERAのインタビューのあと、有頂天が『ベジタブル』を演奏するシーンが流された。翌日から、有頂天というバンドとKERA、そしてナゴムレコードの名は、インディーズ好きの少年少女たちの間に響き渡りはじめる。
現代風に言えばまさに、一夜にして“大バズり”の状況になったわけである。

あの『インディーズの襲来』での伝説的な振る舞いは、計算ずくだったのだろうか? だとしたら、KERAは当時から相当な戦略家ということになるが。

「いや、何も考えてなかったです。あれは目黒のライブハウス・鹿鳴館で、マダム・エドワルダとか、ああいうバンドがいくつか出てた日です。僕らも出ていたのか、ただ観にきてただけなのかも覚えてないんですけど、NHKがインディーズの番組を作ろうとしているらしい、という情報は知っていました。だから、いきなりマイクを向けられて思いつくままにしゃべっただけ。当時、インディーズ業界の中でもナゴムレコードなんて、まあ、本当に末端のレーベルだったので、こっちに取材が来るなんて思ってもいなかったんですよ」