お母さんと慕った製作会社社長の裏切り

「自殺未遂事件をきっかけに、明菜は母親だけでなく親兄弟と連絡を取ることはなくなった。明菜の入院の様子を母親がマスコミにしゃべったことで“自分を金で売った”と明菜が思い込んだとも報じられました。95年6月に千恵子さんは亡くなったのですが、明菜は逝去の前日に一度だけ病院へ見舞っただけで、通夜、葬儀に姿を現すことはありませんでした」(前同)

さらに2019年には妹の明穂さんも若くして亡くなっているのだが、やはり葬儀に明菜は現れなかった。2020年頃、清瀬の実家は売りに出されたが、現在に至るまで明菜と家族は断絶したままだだという。

近藤と破局し、家族とも断絶してしまった明菜。1990年7月には自殺未遂騒動以降初のシングル「Dear Friend」がリリースされ、ファンクラブも発足し、時にドラマ出演も果たしたが、その活動は往年の勢いとは程遠かった。

〈マッチだけではなかった〉度重なるオトコたちの裏切り、家族との不協和音…中森明菜「ライブ映画公開」それでもファンが明菜を待ち続ける“理由”とは…_b
前シングル『LIAR』からおよそ1年3か月ぶり、1990年7月17日にリリースされた27枚目のシングル『Dear Friend』。自殺未遂後、事実上の復帰作となる本作は、明るい曲調が印象的だ

そうした孤独と人間不信の中で、90年代にはいくつものトラブルに見舞われている。所属事務所「研音」からの独立と新事務所設立、レコード会社移籍問題、賃貸マンションに関するトラブル、ギャラの搾取騒動、激やせ、過剰な飲酒などなどスキャンダルばかりがクローズアップされていく。

「この時期、明菜は人間不信を強めていった。とはいえ数々のトラブルの原因は自身にもあり、猜疑心、そして完璧主義もあってマネージャーや関係者が長続きしなかったという側面もあります。きちんとした大手事務所やマネージャーがいないことから、明菜を利用して金儲けを目論む輩も集まってくる。寂しがり屋の明菜はそうした人間を簡単に信じ、そして裏切られる。その繰り返しだった」(週刊誌芸能記者)

有名なのが1993年、明菜が“お母さん”と慕った製作会社社長の暴露騒動だ。この社長は、すでに進んでいた写真集製作の契約を明菜が履行しないとして9000万円もの損害賠償を請求、さらに『悲しい性』(講談社)という暴露本まで出版した。その後、明菜は裁判に勝訴したが、こうした裏切りやトラブルが明菜の周囲で横行していたことは間違いない。

それは“マッチ後”の男性関係も同様だ。近藤との破局後、明菜は諸星和巳、羽賀研二、保阪尚輝、東幹久、青年実業家、プロ野球選手、Jリーガーなど数多くの男性との関係が噂されたが、どれも決定的なものではなかった。

〈マッチだけではなかった!〉度重なるオトコたちの裏切り、家族との不協和音…中森明菜「ライブ映画公開」それでもファンが“明菜を待ち続ける理由”とは…_1
1985年に公開された映画『愛・旅立ち』(東宝)は、明菜の女優デビュー作であるとともに、共演相手が当時すでに交際が噂になっていた近藤真彦であることも大きな話題を呼んだ。映画のラスト10分のクライマックスシーンは鹿児島県徳之島でロケを敢行。訪れた取材陣はマッチとの仲睦まじい様子を伝えている。(「週刊明星」1984年12月6日号より。撮影/篠原伸佳)

だが、1993年7月にある事件が起こる。当時のマネージャーで恋人と噂された男性E氏に大麻所持疑惑が持ち上がり、警察が男性ではなく明菜のマンションを家宅捜索したのだ。このことで明菜とE氏が恋人関係にあり半同棲していることも発覚、さらにこのE氏は当時、妻子持ちだったことも明らかに。

「このE氏は大麻疑惑だけでなく明菜に無断でヌード写真集企画を売り込んでいたと報じられています。やはり明菜の周りには一攫千金を狙う連中ばかりが集まってくるのです」(前同)