まじめで潔癖
ではどんな人びとが、統一教会に引き込まれるのだろうか。きっかけは、街頭のアンケート調査とか、友達にビデオ・セミナーに誘われたとか、いろいろであろう。
総じて言えば、統一教会に引き込まれるのは、まじめで知力の高い若い人びと、つまりごくふつうの人びとである。
統一教会は、性にこだわり、性が堕落と罪の始まりであるとし、純潔を強調する。消費社会の爛熟や歪んだ性文化に眉をひそめるタイプの若者は、この教えに共感を覚える。
また統一教会は、聖書の解釈というかたちで、体系的な世界観を提供する。キリスト教や聖書になじみのなかった若者は、キリスト教っぽい外見を真に受けて、その教義を受け入れてしまう。
統一教会は、部活やサークルのノリがある。信徒を増やすことは、組織の目的でもあり信徒の実績にもなるので、みなとても親切だ。
有田芳生『改訂新版 統一教会とは何か』(2022年、原著は1992年)は、献身(専従者となること)してニセ募金や霊感商法に日々を送った当時の、元信徒の日常を生々しく描いている。
それは洗脳なのか
アメリカでキリスト教系カルトの反社会的事件が問題になり、教団から連れ戻した若い信徒を「脱洗脳」する専門家が現れた。キリスト教の牧師らや、ソ連の洗脳の技術に詳しい臨床心理学者らである。
カルト宗教が人びとを信じさせるのが洗脳なら、信じさせられた人びとに責任はない。でもそのかわり、信徒であった当時の人格は、本人の人格と認められないことになる。
これはこれで、辛いものがあるだろう。
統一教会の場合、人格改造セミナーのような技法を使うとは言え、洗脳であるとは言いにくい。それは、宗教の枠内にとどまっており、本人の納得と同意にもとづいて、教団の活動に従事させている。本格的な洗脳の技法で、本人の人格を操作しているとまでは言えない。
それなら、統一教会の反社会性は、どこにあるのか。それは、統一教会が、「地上の神の王国」という、経済と政治と宗教にまたがる閉じた世界観を提供し、その内部に信徒を閉じ込めるところから生まれている。
統一教会が提供するのは、社会集団(仲間の世界)=世界(世界観)という閉じた世界であり、その世界を、再臨のメシア(文鮮明)が主宰している。信徒はそこで、生きる意味と価値を与えられる。よってそこから、抜け出すことができにくくなる。
この閉じた世界は、信徒から、時間とエネルギーと金銭を吸い上げる。信徒がそれを提供しておかしいと思わないのは、そうした貢献は、意味があり、価値があり、「地上の神の王国」を実現させるためである、と信じるからだ。
「地上の神の王国」が実現するなら、そうした努力と献身は報われる。「地上の神の王国」は、甲子園やインターハイが大がかりになったようなものなのだ。
*統一教会(世界基督教統一神霊協会)は、現在は、世界平和統一家庭連合と名前を変えています。新聞などは「旧統一教会」と表記しますが、本稿では歴史を尊重して、統一教会(Unification Church) と呼ぶことにします。
文/橋爪大三郎 写真/©shutterstock
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