「撮らないで……」藤原紀香さんにヒントを得たトレーニングで倒れた栗城史多氏が、その様子をカメラに撮らせなかった理由
教授と二人三脚の資金集め
マッキンリーからビンソンマシフまで順調に登頂を果たした栗城さんだが、その遠征資金はどうやって集めていたのか?
栗城さんとほぼ同時期に登った人に費用の総額を尋ねたところ、キリマンジャロ、エルブルース、カルステンツ・ピラミッドはいずれも約50万円、アコンカグアが約80万円、マッキンリーは約120万円、南極は格段に高く400万円近かったという。
栗城さんは二度目の南極では撮影隊まで雇っている。これだけの高額な費用をアルバイトだけでは到底賄えなかったはずだ。
実は彼には資金調達の指南役がいたのである。札幌国際大学の和田忠久教授だ。和田教授は北海道の政財界に通じ、北海道生まれの航空会社「AIRDO」の設立にも関わっている。栗城さんを世に出す牽引役の一人となった。
「栗城がマッキンリーに行ってたなんて、学長も理事長も寝耳に水だったんですよ。彼、仲間内にしか話してなかったから。無事に帰って来られたからよかったものの、『次はアコンカグアだ』なんて勇ましい記事が新聞に出ちゃったもんだから、二人ともカンカンになっちゃって。
『行くなら退学届を出してから行け! うちの学生が死んだなんてニュースが出たら募集に響く!』って迫ったんです。そしたら栗城の方も怒っちゃって……。だから彼、その後有名になってからもしばらく札幌国際大学卒業ってことをプロフィールに載せなかった。『退学届を出せ』って言われたのを根に持ってたんです」
栗城さんはアコンカグア登山の企画書を手に、コンビニエンスストア「セイコーマート」本部にアポなしで飛び込んだ。運よく社長と会うことができ、10万円の援助が得られた。和田教授は彼に、札幌市内にある某病院の理事長を引き合わせた。
「そしたら二つ返事でポンと出してくれたの。結構な額、北海道から現地まで行って帰って来られるぐらいの。その理事長、登山やる人だったから。ところがその後、登山界での評判が聞こえてきたんだな。『おい、栗城っていい噂を聞かないぞ。あんなポッと出で7サミッツ(七大陸最高峰の登頂)? しかも単独無酸素? とんでもないホラ吹きだって、みんな言ってるぞ、大丈夫かい?』って言われて。お金もらえたのは一回きりだったね」