最初は前任者の代打で鐘を鳴らしていた
「高1の頃は、コーラスとバレーボールをやっていました。もともと音楽がすごい好きというわけではなかったのですが、高2の時に音楽の先生から『打楽器をやってくれないか』とブラスバンド部に誘われて小太鼓を始めました。
その時に師事した東京芸大の先生に『打楽器をやるなら芸大を目指せ』と後押しされて、芸大を目指すことになったんです。もともと芸大に行くつもりではなかったので試験まで時間が足らず、1浪してようやく入りました」
大学入学後は東京の宝塚劇場や帝国劇場で打楽器奏者のアルバイトをしながらの生活。「流れに身を任すような感じでしたね」と秋山さんは語るが、これによってつながりは広がっていき、様々な舞台で演奏する機会に恵まれた。
「ティンパニーや鍵盤楽器担当として、いろいろな方のバックバンドで演奏させていただきました。日本ならザ・ピーナッツさん、外タレだとペリー・コモさんやデイム・ジュリー・アンドリュースさんなどのバックバンドもやらせてもらいました」
そんな秋山さんの音楽家人生に転機が訪れたのは、東京芸術大学フィルハーモニアを約30年務め、定年を間近に迎えた頃だった。当時、秋山さんは非常勤講師という立場で同大の打楽器指導を行っていた。「のど自慢」の鐘奏者の前任者がガンで入院してしまい、知人から急遽代打を頼まれたことがきっかけだったという。
「最初は1か月だけ代役を務める予定だったんです。ところが、1か月がすぎると3か月、半年、1年間とどんどん代役の期間が伸びていきました。前任者の方がいつでも復帰できるようにNHKの方も配慮していたのですが、残念ながら前任者の方は亡くなってしまい、復帰できなかったんです。それで前任者の跡を継ぐ形で私が鐘奏者になったんです」