批判されて傷つかない人間はいない

「『CASSHERN』の脚本は稚拙だったし、完璧ではなかったけれど…」紀里谷和明監督が振り返る、不当にジャッジされ続けてきた20年_2
『世界の終わりから』でソラを演じた冨永愛。物語のラストで描かれる彼女の行動に注目
🄫Kiriya Pictures
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──そこまで思っている監督が、新作映画『世界の終わりから』を発表する意味とは?

一種の僕の遺言みたいなもの。非常に過酷な現実ではあるけれど、若い世代に対して希望を抱いてほしいとも思っているし、作品の中でも、最後には希望を描いたつもりです。

──確かに、一筋の希望を描いた温かなラストに胸がいっぱいになりました。作品を発表することは、多くの人にジャッジされることと切り離せません。そこに関しては、どんな評価を受けても動じないスタンスですか?

もう、それはすごく傷つきますよ。それでも愛が勝つから作り続けてきたけれど、人格まで否定されてきましたからね。それこそ5年、10年かけて作ってきたものを、ソファに寝そべりながら見た人に否定されるわけですから。自分の子供のような作品を「駄作だ」と全否定されて、傷つかない人間はいないと思います。

──もっと強い人だと思っていました。

僕の場合、結婚した相手が有名な方だったので、全く別の基準で批判されてしまうことが確実にありました。特に『CASSHERN』(2004)のときの不当な批判はもう、ひどかった。どう考えても色眼鏡だし、どう見ても不当なジャッジだし、なんなら映画を見ていないことが明確にわかる批判もありました。

──約20年経った今も批判があるのですか?

いまだにありますね。もちろん、『CASSHERN』は完璧な作品ではありません。初めて書いた脚本だったし、稚拙だったと思います。しかし、メチャクチャ批判したのは日本人だけで、他の国の方々からは熱烈に受け入れられました。まあ、逆の考え方をすれば、20年前の作品が今もこうやって語られることは、それくらい印象に残ったということでしょう。

ハリウッドでモーガン・フリーマンと一緒に仕事をした作品であっても(『ラスト・ナイツ』)、配給してもらえなかったのは日本だけです。だから自分で配給しました。もうこの国では、フラットに作品を見てもらえないという意識はありますね。