「ポテトチップス のり塩」量産化への苦労の道のり
アメリカから輸入された塩味をそのままマネするのではなく、日本人に馴染みのある味付けでポテトチップスを広めたいと考えた小池氏は、台所にあった青のりと一味に目をつけた。
そうして生まれたのが、湖池屋の「ポテトチップス のり塩」だ。
当初は大きな釜を使い、手揚げしていた。徐々に売上が伸びていき釜を増やすが、すぐに焦げてしまうなど手作業で管理できる台数には限りがあった。
量産化へ向け、アメリカで導入されていたオートフライヤーの視察に赴く。だが、当時は1ドル360円の固定相場制で現地の機械を輸入するには壁が高かった。
そこで国内の機械メーカーに相談。国産のオートフライヤーが生まれ、ポテトチップスの量産化に日本で初めて成功した。
だがこれで、すぐに軌道に乗ったわけではない。
パリッとした揚がり具合を機械製造で実現するまで試行錯誤を繰り返した。小池氏が生前、「思い出せないくらいの回数の失敗を重ねた」と話していたという。
また、量産化のためには品質のそろった大量のじゃがいもも必要だった。
藁にもすがる思いで、当時から一大生産地であった北海道十勝地方の士幌町に足を運び、じゃがいもの契約栽培を結んだ。1969年、業界に先駆けてのことだった。