「戦争をどう食い止めるか」が描かれた最高の教材

「教材から削除されても『はだしのゲン』を生涯、語り続ける」講談師・神田香織の“37年分の決意”_1
「はだしのゲン」 第1巻(汐文社)
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にじみ出る悔しさは、実体験に基づくものだ。香織自身が初めて「はだしのゲン」に触れたのは、初出である1973年の「週刊少年ジャンプ」に掲載されたものであった。

「中沢さんの画の強さに引き込まれて食い入るように見入りました。子どもには残酷という声もあるようですが、むしろ私はこんな絶望の淵に追われたゲンがそれでも健気に家族を支えて前向きに生きていこうとする姿に感動して、勇気づけられました。作品に力があるからこそ、世界24か国語で翻訳されているわけです。こんな漫画が他にあるでしょうか」

ゲンとの再会はそれから12年後だった。舞台女優を経て、講談師になった香織は、サイパンで見た戦争の爪痕に衝撃を受け、戦後世代として戦争の悲惨さを自身の話芸で語り継がねばとの思いに至る。

「実際に自分の目で見て戦争を語ろうと、沖縄をはじめとした戦地となった場所にも行きましたし、体験者の方にも話を聞きました。しかし、取材をすればするほど、戦争という大きなテーマを前にして、私の力ではもう語れないか、と考えて広島に行きました」

原爆資料館では「人影の石」を見て胸を打たれ、書籍のコーナーに行くと、そこにあったのが「はだしのゲン」の単行本であった。昔、雑誌で読んだ漫画の記憶が鮮烈によみがえり、全巻購入して、自宅に持ち帰った。読むとまさに蒙が啓かれたという。

「中沢さんが、6歳のときに経験した凄惨な被爆体験を思い出して書いたというリアルな描写だけではなく、なぜ、戦争になったのか、どんな戦争だったのか、その責任は誰にあって、日本国民はどう動いたのか。

そして、あれほど鬼畜米英と言っていた日本のお偉方が、戦後になるとアメリカの手下になってまた市民を抑圧していく様が見事に構成されていました。

これこそ最高の教材と思ったのです。戦争や原爆から学ぶものは、それをどうすれば食い止めるかということですが、その材料がしっかりと書かれていると思いました」