映画のアイデアは本能的なウィスパー
「すべてのクリエーションは、必ずひとつのアイデアからスタートする」と語るスピルバーグ。アイデアのウィスパー(ささやき)は本能によるもので、頭で考えて生み出すものではなかったという。
18歳のときに作ったオリジナルの長編映画『Fireight』(1964)のアイデアも、どこからともなく聞こえたウィスパーが発端だった。
「ストーリーを考えていたある日、アイデアが浮かんだ。タイプをカチカチと打ち出したら、一晩中手が止まらなかった。一睡もしないでまとめたアイデアは、30〜40ページにもなっていた」
製作費捻出には、レモン、オレンジ、グレープフルーツなどの木の根元を白塗りにするアルバイトを、毎週末続けたそう。当時スピルバーグが暮らしていたアリゾナの太陽はことのほか強く、木を太陽から守るために、幹の部分を白く塗って保護するアルバイトがあったのだ。
「1本につき25セント。何本も何本も何本も、木の幹を白塗りにした。それで貯めたお金でフィルムを買ったんだ。出演は妹たちと、近所の遊び仲間、アリゾナ大学の映画科の学生たちが参加してくれた」
ストーリーは、ある町の住人たちがひとり、ふたりと“不気味な”パワーによって消えていくSF。劇中には壁や天井が血で染まるシーンがあり、スピルバーグは圧力鍋の中にチェリージュビリー(さくらんぼのデザート)の缶詰を大量に入れ、爆発させるというスペシャル・エフェクトを考えだした。
両親は不在。彼らが帰ってくる前にすべて終了し、何もなかったように完了するはずだった。ところがチェリーの赤いシミは拭いても拭いても落ちない。大惨事の残骸が片づく前に、両親は帰宅。
「どうなったかは想像に任せるよ キッチンの修理の責任は重かった。映画製作は隠れた費用がかかるものだと学んだよ(笑)」
若い頃から独創的なアイデアと、それを実現する行動力を持っていたスピルバーグ。「モテるタイプじゃなかった」と語るものの、映画を作ることで青春に彩りが生まれていったのも事実。
「フットボールで目立つことなんてできなかったけど、僕が作った8ミリ映画を上映すると注目を浴びた。普段は僕に見向きもしない、学校で最も目立つハンサムなフットボールのキャプテンが、撮影のために、土曜日をまるまる空けてくれたこともある。そんなときに、映画を作ることのパワーを感じずにはいられなかった。映画作りによって得たプラスアルファの体験は、いい励ましになったよ」