保護者からの差別に直面する保育士
荒井勝喜首相秘書官がLGBTQなどの性的少数者や同性婚について、「見るのも嫌だ。隣に住んでいたらやっぱり嫌だ」と語ったことが問題視され、2月4日に更迭された。
こうしたLGBTQへの偏見は今なお一部に根強く残っている。
だが実際にLGBTQ当事者は、社会に広く存在しており、あなたの隣に住んでいる可能性だって決して少なくない。当事者たちは偏見や好奇の目にさらされる不安を感じて、オープンにすることをためらいながらも、ごく普通の社会生活を営んでいる。
0歳児から小学校に入るまでの子どもが日中を過ごす保育園。もし、子どもと触れあう保育士がLGBTQの当事者だったとしたら?
政治家や官僚の不適切発言には眉をひそめても、わが子が通う園の先生がLGBTQだった場合はどうだろうか。近年、子どもに対する性被害の事件が頻繁に報道されることもあり、「あの先生は大丈夫か?」「子どもが性被害にあってないか気がかりだ」という声は筆者の元にも聞こえてくる。
だがそれは、セクシュアリティの問題ではなく、モラルや法律を守る意識の問題である。筆者が保育現場で働いていた際、年配の女性保育士が、男児のおむつ替えの際にわざと性器に触る場面を目にしたことがある。職員会議で園長から、一般論として「こういうことはしてはいけない」と注意してもらってその行動は収まった。わずか一例だが、LGBTQだから、あるいは男性だから、「こういうこと」が起こるわけではないのだ。
保育士でLGBTQ当事者であることをオープンにして働いている人は少ない。そうすることにメリットがないからだ。レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルの人は外見からそうと気づかれることはまずない。生まれ持った身体の性別と、自身が感じる心の性別が食い違うトランスジェンダーの場合は、外見的特徴から気づかれる場合もあるが、気づかれない場合もある。
トランスジェンダーの保育士、Aさんの場合、職場では何人かの保育士にカミングアウトしているという。
園児から「先生は男の子? 女の子?」と聞かれたとき、Aさんは「自分で考えてみて」と返す。園児は「先生は背が高いから…」とか「髪型が…」など外見を手がかりに色々と考える。いくら思いめぐらしても正解はわからない。
でもそうやって考える中にも、子どもたちの成長がある。正解を言わなければならない、などということはない。