1982年は、もうひとつ重要な節目となる年でもありました。
1932年8月に設立された東宝株式会社が、創立50周年を迎えたのです。
創立当時の社名は東京宝塚劇場。当時圧倒的優位に立っていた松竹が浅草の劇場を独占的に支配していたのに対抗して、有楽町から日比谷にかけて新たな劇場街を作るために阪急グループの創始者・小林一三が設立した、製作から配給興行まで一貫して担うことを目的とする映画会社でした。
帝国ホテルの隣に東京宝塚劇場と日比谷劇場をオープン。また、日本最大級の4000人という収容観客数で翌年に開業したものの経営難に陥っていた、国鉄ガード下の向かいの日本劇場を傘下に入れ、以後その界隈の劇場の経営を次々に手中へと収めることで日比谷、有楽町界隈の劇場街を独占的に完成させます。

劇場に行かずして我先に映画を嘲り笑う心根の捻れた“映画好き”は、映画が好きなんじゃないんだ…樋口真嗣を淋しい気持ちにさせた、周年記念大作邦画とは!?【『幻の湖』】
『シン・ウルトラマン』Blu-ray特別版&配信、著書『樋口真嗣特撮野帳』も大好評の樋口真嗣監督が、1982年、高校生時点で見た原点ともいうべき映画たちについて熱く語るシリーズ連載。久々の邦画回は、違う意味で打ちのめされた幻の作品について語る。
私を壊した映画たち 第15回
1982年は東宝創立50周年!

1930代に撮られた丸の内あたりの写真。番号2が、1933年にオープンした日本劇場
©Mary Evans Picture Library/アフロ
一方で、東京都世田谷区砧の映画スタジオ・写真化学研究所”photo chemical laboratory”略してPCLと、映画に関する機器を扱う貿易会社大沢商会が京都太秦にひらいた撮影所、J.O.スタヂオを合併させて、東宝映画が生まれたのは5年後の1937年のことであります。
東宝誕生50周年を記念した映画が、1982年公開を目指して東宝で作られることになりました。
別に東宝に限らず、ほかの映画会社でも、テレビでいえば開局何周年記念ドラマとかいっぱいあります。
最近だと木村拓哉が織田信長を演じた『レジェンド&バタフライ』(2023)は東映創立70周年記念作品だし、『シン・仮面ライダー』(2023)はライダー誕生50周年記念企画作品だそうです。
こういう冠がつくと何があるのでしょうか? だいたい観る人に向けてアピールする傾向にあるってことは、ご祝儀気分で普段よりも予算がいっぱいついているから、いつもの映画よりも豪華でおトクですよ、ってことなのだろうか?
それとも作る側が、周年記念に相応しい、周年記念に出しても恥ずかしくない内容にしようと、気合を入れ心を込めて映画を仕上げるのでしょうか? そのためにはやはり、いつもよりも上乗せされた予算は必要不可欠でしょう。
東宝50周年、本気のラインナップ
ところがそんな景気のいい話なんてあるはずない。あの頃からだいぶ経って、大人の事情を喧伝する奴を大勢知るようになればなるほど、「周年記念」という字面の並びの欺瞞に鼻白んでしまうわけですが、映画会社のマークがフェードアウトして、一拍置いて「何周年記念作品」とか出ると、思わず背筋を伸ばし姿勢を正しちゃうんですよね。芸術祭参加作品とかも。風格が増すというか。
『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995)を作っている途中で、とてもじゃないけど伊藤(和典)さんの書いた脚本(ほん)の通りに実現できないぐらいの予算しかないってわかり、途方に暮れてたときに金子(修介)監督が、「大映倒産25周年記念映画」って出せばいいんだと言ってたけど、そんなことしなくて本当に良かったなと。
※編注:『ガメラ~』は監督・金子修介、特技監督・樋口真嗣

1981年、老朽化により閉館寸前の日劇。森谷司郎監督『漂流』(1981)がかかっている
©Natsuki Sakai/アフロ
話がズレた。そんな東宝創立50周年記念映画、その年に作られたすべての映画がそう、とは限りません。冠がついたのは以下の5本。
初の日本・オーストラリア合作の戦争大作『南十字星』。監督は丸山誠治。
沖縄戦に散った女学生部隊の悲劇を、1953年作品の今井正監督みずからが再映画化した『ひめゆりの塔』。
数々の名作を世に送り出してきた脚本家・橋本忍が、自身が構想した原作を基に、満を持して21年ぶり3本目の監督作に挑む『幻の湖』。
日本を代表する巨匠の座を手に入れた森谷司郎監督が、撮影・木村大作、主演・高倉健の盤石の布陣で、青函トンネルに挑む男たちを描く『海峡』。
そして谷崎潤一郎原作で、昭和初期の大阪の商家の四姉妹の愛憎を市川崑監督が端正に紡ぐ『細雪』。
どうですか。漫画原作やアニメに頼らなくてもよかった時代の本気の企画たちです。
衝撃に備えよ!
その中でも『幻の湖』。
数々の黒澤明監督作品に脚本家チームの中核として参加、1970年代に入ってからは自ら製作会社・橋本プロダクションを興し、『砂の器』(1974)『八甲田山』(1977)『八つ墓村』(1996)の大ヒットを連発した脚本家兼プロデューサーの橋本忍が、初の同名オリジナル小説を発表したのが2年前の1980年。
その本に折り込まれたチラシには、映画化決定、主演女優募集が告知されていたのです。

樋口監督所蔵の原作書籍。なんと集英社刊である
橋本忍さんといえば近年の大ヒット大作だけでなく、私の人生を変えた映画になる『日本沈没』(1973)然り、『切腹』(1962)『日本のいちばん長い日』(1967)『人斬り』(1969)と、どれも揺るぎなき堅牢さを持ちつつ、と神の如き視点で俯瞰する現実に翻弄された人間の脆さを描きながら、あるときはマクロからミクロへ、あるいは時系列が…視点が大胆に飛躍する映画的興奮の連続が、当時中学生の私を虜にしたのです。
この脚本の力であの映画は“強く”なったのか!
そんな脚本家のオリジナル小説が映画になるとは!
しかも二十年余ぶりに監督まで手がけるとは!
ついに山が動くのです。
こうしちゃいられません。
早く原作小説を読んでその衝撃に備えなければ———。
それがデキはといえば……………。
文字通り、幻になりかけていたこの映画、のちに心根の捻れた映画好きの俎上に上り、いいように笑いものにされます。
あの映画を当時、絶望的な不入りのため打ち切りになったわずか数日の上映期間に劇場に運んだ者のみが許されるはずなのに、DVDで見た連中のほうが我先に嘲り笑う傾向にありました。そういう人たちは映画というものがそんなに好きじゃないんだなと淋しい気分になりました。
とはいえ、身を挺してあの映画を庇えるかというと決してそういうわけではなかったのです。でも、あの映画化決定のチラシの入った小説を読んで、まだ見ぬ映画を夢想した時期はかけがえのないひとときだったのです。
文/樋口真嗣
『幻の湖』(1982) 上映時間・2時間44分/日本
原作・脚本・監督:橋本忍
出演:南條玲子、隆大介、星野知子、光田昌弘 他

「幻の湖 <東宝DVD名作セレクション>」 DVD発売中 2,750円(税抜価格 2,500円)発売・販売元:東宝
風俗嬢の道子の趣味は琵琶湖湖畔のランニング。ある日、笛の音に誘われてひとりの男と出会い、不思議な縁を感じる。しかし、一緒に走っていた愛犬が殺されたことから、犯人を追って東京へ…。戦国時代から宇宙空間まで、時空をこえて展開する壮大なドラマ。長尺で難解なため劇場成績がふるわず、なかなかビデオグラム化もされず「幻の」作品と呼ばれたが、近年は見直されている。
私を壊した映画たち

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