働くこと、しかも現場が大好きな自分の人生、この後どうするのか
門田クニヒコさん(53)、小元俊祐さん(59)、鬼頭英明さん(60)はキリンビールをはじめとする飲料メーカー、キリンホールディングスの元同僚だった。
長崎県五島列島最大の島、福江島で「五島つばき蒸溜所」を興し、代表となった門田クニヒコさんはキリン時代、主に商品開発に携わってきた。
「47都道府県の一番搾り」「氷結ストロング」などのヒット商品を生み出し、キリンの看板を背負って多くの人をお酒で幸せにしてきたという自負がある門田さんだが、50歳を契機にセカンドライフについて考え始めたという。
「当時、仕事に不満はありませんでした。ただ、50歳になる際の会社の研修で『自分年表』を書かされるんですが、その時あらためて『キリンで仕事ができる時間はあと少しなんだ』と自覚して。仕事が大好きだし、マネジメントよりも現場が大好き。この後の自分の人生は、どうするのか。そう自問した結果、思い切って会社を飛び出し、新しいステージで、大量消費とは対照的なお酒造りへの挑戦を決めました」(門田氏)
一緒に起業する仲間として門田さんが誘ったのは、キリンの商品開発研究所の先輩だった小元俊祐さんと、「富士山麓」などのウィスキーをはじめとする、さまざまな酒のブレンダーとして活躍してきた鬼頭英明さんだ。
クラフトジンを選んだのは、表現の自由度が高く、「風土」を表す酒としてオリジナリティを出せると思ったから。
蒸留所の候補地としては静岡市、愛媛県西条市などにもリサーチに訪れたが、五島列島の歴史と風景、そして、つばきの木が決め手となった。
五島に1千万本以上自生し、果実から採れる油は食用にもなるつばきをキーボタニカルに、この離島でクラフトジンを造ることにした。
新たな酒に求めた「風景のアロマ」
島で蒸留所を建てる場所を探す中、3人が心ひかれたのが、半泊(はんとまり)という小さな浜辺の集落だ。
この浜辺は江戸時代末期、キリシタン弾圧から逃れるために、長崎の大村藩からやってきた数家族が上陸。土地が狭く、半数だけが留まって住み着いたため、半泊と呼ばれるようになった。
今では5世帯6人だけが住むこの集落には、キリスト教解禁後の大正11年に建てられた小さな半泊教会があり、たった一人の信徒さんが祈りを続ける。
島の中心部から車で30分、くねくねとした細い山道を抜けてやっと辿り着く小さな入り江の風景と、厳しい禁教時代にも人々が祈りを受け継いできた精神性、その暮らしに寄り添うつばき。
慈しみを感じるこの場所でなら、自分たちが新たな酒に求める「風景のアロマ」を造れると、3人は教会の隣りに蒸留所を建てることを決めたのだった。