山を舞台にしたエンターテインメント
その数日後、段ボール1箱分のビデオテープとDVDが届いた。初めての海外登山だった2004年の北米大陸最高峰マッキンリー(現称=デナリ・6190メートル)から始まる、栗城さんのすべての登山の映像素材だった。
それは、かつて目にしたことのない世界だった。
栗城さんは山に登る自分の姿を、自ら撮影していた。山頂まで映した広いフレームの中に、リュックを背負った栗城さんの後ろ姿が入ってくる。ほどよきところで立ち止まった彼は、引き返してカメラと三脚を回収する。
クレバス(氷河の割れ目)に架かったハシゴを渡るときは、カメラをダウンの中に包み込んでレンズを下に向けている。ハシゴの下は深さ数十メートルの雪の谷。そこに「怖ええ!」と叫ぶ栗城さんの声が被さっていく。
栗城さんは自分の泣き顔まで撮っていた。南極大陸最高峰のビンソンマシフには2回挑戦しているが、2回とも泣いている。
1回目、2006年の挑戦で流したのは、悔し涙だ。定められている滞在期間が切れてしまい、係員に撤退するよう求められた。
「ボクは登りたいんですけど……係の人が下りろって……」
下山しながら、ケンカで負けた子どものように泣きじゃくっていた。
2007年暮れ、今度は歓喜の涙を流した。南極では単独登山が認められていない。このときは撮影スタッフ2人とベースキャンプ(BC)に入って隊の体裁を作った。そこから一人で登ったが、見咎められることはなかった。
登山は順調に進み、栗城さんのカメラが前方に近づいてくる山頂のサインをとらえた。
「あれだよお!」
震えた声が被さると同時にカメラがパンして、泣きながら登る彼の顔にしっかりと向けられた。それは一言で言えば「栗城劇場」。山を舞台にしたエンターテインメントだった。
栗城さんがパフェを食べながら言った言葉が、私の脳裏に蘇った。
「ボクにとって、カメラは登山用具の一つですから」
(注)その後、筆者は取材を通して、栗城氏が掲げていた「単独無酸素」という看板がひどく誤解を生む表現であり、虚偽表示や誇大広告に近いものであることを知る。詳細は『デス・ゾーン』に記している。
文/河野啓
登山関係者の大半が批判的に見ていた栗城史多氏の「すごさ」とは?はこちら
エベレストで流しそうめんにカラオケ!? だんだんと方向性を見失っていった登山家・栗城史多氏の晩年はこちら