事件後も西山さんを支え続けた
啓子夫人の素顔
佐高 ところで、西山さんと今回対談するにあたり、あなたの本を改めて読ませていただいた。よくぞ西山啓子さんをあそこまで落とした、というかしゃべらせたね。ある意味、西山さんより近いよ。
諸永 僕が取材を始めた時は、メディアの中に西山さんの取材手法に対する批判や拘りがあり、名前を出すだけで拒否反応が出て、密約の中身について考えようとしてくれない人がいっぱいいました。西山太吉という記号を捨てて書くにはどうしたらいいかと考えた時に、啓子さんの存在が浮かんだんです。
佐高 啓子さんは日記を書いていたんだそうで?
諸永 そうです。西山さんを取材する際に何度もお会いして、すごいすてきな方だったので、本を書かせてもらえないかと提案したんです。すると「今、出ている山崎(豊子)さんの連載は噓ばっかりだけど、本当のことが同時に出ると大変なことになるので、連載が終わるまで待ってて」と言われ、終わってから書く約束で日記を貸していただいたんです。1972年の事件直後から3年間ぐらいのものでした。
佐高 あの渦中で、日記つけていたんだ。
諸永 ふたりの息子も抱えながら、苦しい胸中を日記に吐き出すしかなかったんじゃないですかね。西山さんは政治や沖縄の話はしても、自分の心の内を明かしたりはしないので、事件当時どう感じていたのかはなかなかわからないんですが、啓子さんという鏡を通すことですごくよく見えてきました。
佐高 その『運命の人』がTBSでドラマ化(2012年)され、西山さん役をもっくんこと本木雅弘が演じたわけだけど、啓子さんに近かった諸永さんから見て、あのドラマはどうだったんですか、ドラマの中の西山像は。
諸永 原作通りとはいえ、最後沖縄に移住する不自然さを除けば、よくできたドラマじゃないですかね。格好良すぎましたけど(笑)。西山さんは、圧倒的なナイーブさを抱えている人だと思います。政府や政治を批判する時は声が大きいし強いけれども、自分自身の問題で守りになると、突然子どもみたいになってしまう。そのギャップがすごく不思議で、また魅力でもあるのかなという気はします。
佐高 戦後の日本のジャーナリズム史に特筆すべき人ではあるんだけれども、まさに諸永さんの言う脆さを抱えていて、そこは啓子さんが支えた部分だよね。
諸永 本当に西山太吉という人を理解しているから、「ちゃんと死なせなきゃ」とずっと言っていました、啓子さんは。
佐高 結果的には啓子さんのほうが先に亡くなってしまった。本当に後ろ髪を何重にも引かれる思いで逝ったと思うよね。だけど言えるのは、西山さんをあの事件で自暴自棄にさせず、戦後安保史、メディア史の貴重な証言者にした最大の殊勲者は啓子さんだね。