母親を亡くした後に、愛娘に勧められて再奮起
野原氏にとって『今朝もあの子の夢を見た』は9冊目の著作となる。
「まさか、こんなにたくさん描かせていただけるとは思っていませんでした。ありがたいことにチャンスに恵まれました」
デビューが40歳を過ぎてから、と遅咲きで、すでに結婚して子どももいた。一冊本が出せればいい、と思っていたという。
「子どもができる前に、少しストーリー漫画を描いていたのですが、漫画ってプロットを描いて、ネーム描いて……と本当に大変。私には向いていない、もう2度と漫画を描くことはない、と思っていたのですが、母親が亡くなって何もやる気が起こらずボーッとしていたとき、娘に勧められてまた描き始めたのです」
そうして描いたのが、デビュー作のコミックエッセイ『娘が学校に行きません 親子で迷った198日間』(メディアファクトリー)。これまでで1番描くのが苦しかった作品だったという。
初めてのコミックエッセイで勝手がわからなかったことと、やはり、自身と家族のことを描くのは苦しかったときのことを生々しく思い出し、たくさんの迷いが生じるたのだろう。
「編集者に『ひとつの作品を描くことで人生が変わることもあるのです。その覚悟がありますか』と怒られました。それでも描きたくて。
2作目からは自身の体験とフィクションが半々の“セミフィクション”です。3作目からは『離婚してもいいですか?」などのモヤモヤとしたテーマのものを描くようになりました。ただ、不思議なことに、描いたときは自分のことではない、と思っていたのに、読み返すと自分のことのように感じるんですよね」
2作目からはフィクションで描いてきたが、『今朝もあの子の夢を見た』はこれまでで2番目に描くのが苦しかった作品だったという。
ちなみに、“野原広子”はペンネームだというが、次回作ははたしてどんなものになるのか?
「子どもたちが自立して、人生折り返し地点に立っている女性の話が気になっています。鉄は熱いうちに打てで、気になっているうちに描きたいなあと思っています」
次回作が読める日も、そう遠くなさそうだ。
#1「子どもに会えなくてつらい」という告白から生まれたテーマ。親権をもたず子と離れて暮らす親の哀しみはこちらから