浪費の王妃というフランス国内の評価さえも変えてしまった漫画『ベルサイユのばら』。50周年の節目に、池田が描いたマリー・アントワネットを考察する_3
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宝塚版ベルばら…漫画とは違う結末

『ベルサイユのばら』は1974年に宝塚歌劇にて舞台化された。豪華絢爛でドラマティックな演出を得意とする宝塚と見事にマッチし、社会現象になるほどの空前の大ブームを巻き起こした。その後も、節目の年には再演が重ねられ、宝塚の代表作のひとつとなっている。

そんな宝塚版では、アントワネットの最期が漫画とは異なることをご存知だろうか?

一国を担う王妃としての自覚を持ち、運命に立ち向かっていく姿をより強調するような独自の演出がなされているのだ。特筆すべきシーンの一つに、ベルサイユ宮殿に討ち入ってきた民衆に対し、アントワネットが次のような台詞を放つ場面がある。

「どんな時でも どんなことが起ころうとも すべての責任はわたくしが取ります マリー・アントワネットはフランスの女王なのですから」

見得を切って高らかにこう宣言する姿は、フランス王妃としての威厳に満ち、観客も思わずひれ伏してしまいそうになる宝塚オリジナルの名場面だ。

そして宝塚版の最大の見せ場は、アントワネットが断頭台へと上がっていくラストシーンである。その場面は、史実はもとより池田の原作とも異なっている。

アントワネットが処刑される日に、恋人であるスウェーデン貴族フェルゼンが牢獄へとやって来て、彼女を救済しようとするのだ。だが、アントワネットはフェルゼンの救済の申し出を拒み、フランスの王妃として立派に死なせて欲しいと懇願するのである。そして、アントワネットは断頭台に見立てられた、光差す大階段を上っていく。 

この場面でのアントワネットには、処刑される身でありながらも、驚くほど血腥さや残酷さは感じられない。フランス王妃としてけじめをつけるために、自らの意思で死を受け入れたその姿は、どこまでも神々しく、まるで天からブルボン王朝を終焉へと導く宿命を授かっていたかのようにも思えてしまうのだ。