浪費の王妃というフランス国内の評価さえも変えてしまった漫画『ベルサイユのばら』。50周年の節目に、池田が描いたマリー・アントワネットを考察する_2
出典:「共同参画 令和4年1月号」(内閣府 男女共同参画局) 

令和においてもレジェンド! 男装の麗人・オスカル

『ベルサイユのばら』には、実に多くの魅力的なキャラクターが登場する。なかでも圧倒的な人気を誇るのは、物語のもう一人のヒロインである男装の麗人、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ(以下オスカル)だ。
アントワネットを語る上でオスカルへの言及は避けては通れない。

オスカルは女性に生まれながらも軍人として育てられ、数奇な運命を辿る。身分社会、男性社会といった不平等な世の中に屈することなく、己の信念を貫く凛々しき姿は、読者から熱狂的な支持を得た。
同時に、女性の社会進出がままならなかった『ベルばら』連載当時の日本において、女性の自立を後押しする希望の象徴でもあった。池田は自身が創造したオスカルに、働く女性の想いを投影したのである。

連載開始から半世紀が過ぎた現在においても、オスカルの人気、影響力は留まるところを知らない。内閣府男女共同参画局の広報誌の表紙にも起用されるなど、令和においてもオピニオンリーダーの役割を担っており、もはや少女漫画の枠を超えたレジェンド的存在だ。

一見すると、オスカルとアントワネットは対照的な人物像であるが、実は同じ属性を帯びている。オスカルは軍人として生きる定めを受け入れ、最後には自ら爵位を捨て、一市民としてバスティーユ襲撃の指揮を取り、戦死する。
一方、アントワネットは最後の最後にフランス王妃として目覚め、処刑される身でありながらも立派に死ぬ覚悟を持ち、断頭台の露と消える。二人のヒロインは、自らの意志を持って己の運命を受け入れ、能動的に生きた点が一致するのだ。

池田は『ベルばら』で一番描きたかったこととは、アントワネットとオスカルの内なる目覚めを通して、女性の人間としての自我の確立と、それによってもたらされる能動的な人生であり、フランス革命は日本女性にとっての内なる革命であって欲しかったと語っている。(池田理代子「ベルサイユのばら三十周年に寄せて」『連載開始30周年記念 ベルサイユのばら大辞典』集英社、2002年)

こうした池田の想いが込められた『ベルばら』は、現在においても色褪せることなく、深く心に突き刺さる。白薔薇と紅薔薇に例えられるオスカルとアントワネットは、世代を超えて私たちを鼓舞するヒロインなのである。