実は僕自身にとってもリアルタイムではないのだが、1975年の解散ライブが伝説として語り継がれているキャロルである。
キャロル(1972―1975)
ラストソング「ラスト・チャンス」
矢沢永吉率いるキャロルは、1975年4月13日の東京・日比谷野外音楽堂でのライブをもって解散。人気曲のオンパレードで、激しい雨にもかかわらず異様に盛り上がり、最後はバンド最大のヒット曲である1973年発表の「ファンキー・モンキー・ベイビー」から1974年発表の「ラスト・チャンス」へとつなげて大団円。
……となるはずだったのだが、最後の曲は途中で演奏を止めざるをえなかった。「ラスト・チャンス」の演奏中、ステージ上に掲げたCAROLの電飾文字を爆竹で破裂させるという演出計画だったのだが、火が舞台装置上部の発泡スチロールに引火。ステージが火事になるというハプニングが発生したのだ。
この衝撃のラストライブの模様を収めたアルバムのタイトルは、よりによって『燃え尽きる:ラスト・ライヴ』(なんとまあ、おおらかな時代だ)。そこには、消火活動をする、この時キャロル親衛隊を務めていたクールスのメンバーの声や、駆けつける消防車のサイレンの音も記録されている。
80年代を彩ったBOØWY、RCサクセション、
ザ・ブルーハーツ、フリッパーズ・ギター
BOØWY(1981―1988)
ラストソング「NO. NEW YORK」
1988年4月4日・5日の2日間にわたり、LAST GIGSと銘打って東京ドームで華々しくおこなわれた解散ライブ。最終日2回目のアンコールでは、「ホンキー・トンキー・クレイジー」に続いて「NO. NEW YORK」が披露され、熱狂の渦のなか幕切れとなった。
1982年発売ファーストアルバム『MORAL』に収録されている「NO. NEW YORK」は、バンド結成後「IMAGE DOWN」に次いで制作された、最初期の曲にして代表曲のひとつ。
RCサクセション(1968―1991)
ラストソング「ドカドカうるさいR&Rバンド」(推定)
1991年1月に無期限活動休止を宣言したRCサクセションは、いわゆる解散コンサートをやっておらず、1990年12月25日におこなわれた、クリスマス恒例の日本武道館公演が実質的なラストライブとなった。
その日のラストソングは、資料不足で正確にはわからないのだが、12日前の12月13日に名古屋市公会堂でおこなわれたライブや、1989年のクリスマスライブでは「ドカドカうるさいR&Rバンド」がラストソングだったので、RCとしての最後の曲もおそらくこれだったはず。
資料に乏しいのは、この年のRCサクセションがもはや空中分解状態のバンド末期で、リアルタイムで見ていたファンもあまり多くを語りたがらないからかもしれない。
(当時のRCファンクラブ会報『BAD vol.32』に当日のセットリストが載っているという情報あり。持っている人がいたら、個人的に連絡ください(笑))
フリッパーズ・ギター(1987―1991)
ラストソング「GROOVE TUBE Part2」
フリッパーズ・ギターの解散が明らかになったのは1991年10月29日のこと。既にチケットが発売されていたその後のツアーを全部キャンセルしたため、世間から「プロ意識を欠く行為」と批判されたが、小山田圭吾と小沢健二の解散の意思は、もっと早くから固まっていたようだ。
解散表明前の同年9月19日に、TOKYO FMホールでおこなわれた公開録音が最後のライブで、同年3月に発売された5thシングルのカップリング曲で締めくくっている。解散の本当の理由については諸説あるが、小山田氏と小沢氏が二度と手を組むことはないだろうというのが、ファンたちの間での共通認識。
ザ・ブルーハーツ(1985―1995)
ラストソング「TRAIN-TRAIN」
1994年8月13日に長野県の科野の里歴史公園で開かれた、あんずの里ロックフェスティバルへの出演がザ・ブルーハーツとしてのラストライブ。1988年にリリースした6枚目のシングル曲にして、現在でも名曲として歌い継がれる「TRAIN-TRAIN」を最後に演奏した。
ブルーハーツの解散表明は翌1995年6月だが、メンバー間の種々の精神的軋轢による解散劇だったためか、改めての解散ライブはおこなわれなかった。