遅咲きのブラッド・ピット、出世の理由は

その後、レンフロは『マイ・フレンド・フォーエバー』(1995)『スリーパーズ』(1996)ーー本作ではブラッド・ピットが演じるキャラクターの子供時代を演じていたーーと、着実に活躍の幅を広げていく。才能と美貌と可能性に恵まれたレンフロだが、若くして名声を手にした子役によくあるように、ドラッグで道を踏み外してしまう。逮捕や療養施設入りを繰り返し、2005年に過剰摂取でこの世を去ってしまった。25歳だった。

一瞬キラリと光っては消えていく若き才能たち。この年は、アリシア・シルヴァーストーン、ブラド・レンフロ… そんなスターが多いのはなぜか?‗02
将来を嘱望されていながら残念なことになったブラッド・レンフロ
©ロードショー1996年11月号/集英社
すべての画像を見る

1996年に最多3回表紙を飾ったのは、ご存じブラッド・ピットである。『セブン』(1995)が公開され、ついに名実共にトップ俳優となった。さきほどアリシア・シルヴァーストーンやブラッド・レンフロの失速を嘆いてみたものの、逆に言うと、いまでもハリウッドのトップでいるピットのほうが異常なのかもしれない。

ブラッド・ピットにとって幸運だったのは、比較的遅咲きだったことだ。1963年生まれの彼が注目を集めたのは、30歳前後になってから。それまで売れない俳優として辛酸をなめてきた彼が、巡ってきたチャンスをみすみす無駄にするような真似をするはずがない。

さらにツイていたのは、気鋭の映画監督とパートナー関係を築くことができたことだ。『セブン』は、ミュージックビデオの鬼才と呼ばれつつも、監督デビュー作『エイリアン3』(1992)で大失敗したデヴィッド・フィンチャー監督の第2作だった。野心作に出演したいピットと、映画化を実現できる主演俳優が欲しいフィンチャー監督の思惑が一致し、本作が実現。その後、『ファイト・クラブ』(1999)『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008)でもタッグを組むことになる。

さらにさらに、フィンチャー監督を通じてスティーヴン・ソダーバーグ監督とも懇意になり、『オーシャンズ』シリーズのレギュラーとなる。ハリウッドの王道映画に出演しながらも、個性派監督との仕事を重視していることは、『12モンキーズ』(テリー・ギリアム監督/1995)から『スナッチ』(ガイ・リッチー監督/2000)、『バベル』(アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督/2006)、『バーン・アフター・リーディング』(コーエン兄弟監督/2008)、『イングロリアス・バスターズ』(クエンティン・タランティーノ監督/2009)、『ツリー・オブ・ライフ』(テレンス・マリック監督/2011)といった出演作を見れば、一目瞭然である。

◆表紙リスト◆
1月号/サンドラ・ブロック 2月号/ブラッド・レンフロ※初登場 3月号/アリシア・シルヴァーストーン 4月号/ブラッド・ピット 5月号/ジョン・トラボルタ&クリスチャン・スレーター※両名とも初登場 6月号/サマンサ・マシス※初登場 7月号/レオナルド・ディカプリオ 8月号/アーノルド・シュワルツェネッガー&ヴァネッサ・ウィリアムス※後者のみ初登場 9月号/アリシア・シルヴァーストーン 10月号/ブラッド・ピット 11月号/ブラッド・レンフロ 12月号/ブラッド・ピット
表紙クレジット ©ロードショー1996年/集英社