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東京のバラエティはオーケストラ、大阪はフリージャズ

東京吉本の若手から“父”と慕われる人物がいる。30年近くにわたって多くの芸人を劇場で育ててきたライブ作家・山田ナビスコ氏だ。山田氏が手掛けるライブは、ネタだけではなくいわゆる“平場”のトレーニング力が高いと、芸人たちはよく語っている。
なぜ東京吉本ならではの育成術が生まれたのか? その謎に迫った。


――今は学生お笑いを経験してからお笑いの世界に入ってくる芸人が増えました。プロの世界に入って得られるものとはなんなのでしょう?

学生お笑いのネタは大喜利の要素が強くて、そこにニン(≒キャラ。本人の人間性やその人らしさがネタや笑いのとり方に表れている様子を指すお笑い用語)がない。でも、東京吉本には、「大喜利だけでは通用しない」という意識が連綿として受け継がれてるから、舞台に上がっていくうち、平場で活きるようなニンがついてくるんです。

――それは昔からあった文化なんですか?

起源は間違いなく銀座7丁目劇場(1994〜1999年)でしょうね。東京NSCが立ち上がったとき(1995年)、横沢(彪/フジテレビプロデューサー→吉本東京支社長)さんがいて、連れてきたコーチ陣が、永峰(明/演出家)さんを筆頭に全員東京のバラエティー番組で活躍していた人だった。
そこでバラエティー番組っぽいものを学んでいくうち、異質なヤツを目立たせてあげよう、引き上げてあげようという文化が生まれたと思うんですよね。

それは誰がつくりだしたというわけではなく、社員さんの「こういう芸人を育てよう」という意向に、われわれ関係者が乗っかって自然発生したもの。それでその後も、僕が「needs」というライブを続けてきた。

――若手芸人が平場で立ち回る能力向上を目的にした、コーナーに特化したライブですね。

その結果、「今日はこいつに振って、こいつを立たせたほうがウケるかも」という感覚が磨かれていった。自分がシュートしなくても、アシストをしていくんですよ。

たとえば、ぼる塾の田辺に初めて会ったとき、「はぁ~い、田辺よ~」と挨拶してきて、俺を含めた周りの作家、社員さん、全員が「これはいける」という直感を覚えたんですよ。それでライブになると毎回、裏回しができる芸人に「今日はこの場面で田辺に振れ」「このタイミングで田辺にぶっこめ」という指示を与えていった。

それを頻繁にやっておくと、いざテレビの本番で振られても「前にやったパターンだ」という頭があるから反応できちゃう。芸人を世に出すには、そういう平場の練習が必要でした。

――そうした文化は大阪にはないものなのですか?

大阪はちょっと違うと思うんです。東京のバラエティは、芸人ではないゲストを含めて、MCが中心になって流れをつくりながら回していく。それに対して大阪のローカル番組は、MCと出演者が対等にバカをやるんですよ。言うなれば、オーケストラとフリージャズ。

土壌の違いをすごい感じますね。大阪はお笑いライブのコーナーも、基本は「俺が俺が」でガーッと前に出てくるボケ合戦ですから。それはボケ合戦ができる地肩があるから成立すること。ボケ合戦ができない芸人に対しても、流れを作ってあげるのは東京吉本特有の文化なんです。

――大阪NSC出身で、早めに上京して東京で活躍する芸人も増えました。そのタイプはどっちの文化に属しているんでしょう。

最初は東京の空気をつかめないけど、次第に受け入れて、どんどん進化していきますね。いい意味でハイブリッドになってます。大自然とか、男性ブランコとか。大自然のロジャーなんて、引きながらも前に出られるというか……。一発の破壊力がすげえなあと感心します。