「誰よりも早く滑りたい」三度の前十字靭帯断裂を乗り越え、ミラノ・コルティナダンペッツォ冬季五輪へ。スキークロス選手、新井真季子の挑戦_2

3度の前十字靭帯断裂。それでも
スキーをやめようと思ったことは一度もなかった

――帰国して法政大学に入学し、日本を拠点に活動をスタート。大学2年時に日本代表入りを果たしてFISワールドカップに初出場されて以来、新井選手はアルペンスキー選手として国内外の大会で活躍されてきましたが、これまで三度、前十字靭帯断裂の大怪我に見舞われています。度重なる逆境をどう乗り越えてきたのでしょうか?

一度目は留学中の2012年に右膝、次は帰国後の2015年、最後に2017年にそれぞれ左膝を負傷しました。そのたびに「やってしまったことは仕方がない」と割り切って、同じ怪我をした選手から話を聞いたり、いい刺激をもらいながら乗り切ってきました。

さすがに3回目は「またか…」と思いましたし、出場をめざしていた平昌オリンピック前だったのでショックはありましたが、それでも怪我を理由に競技をやめようと思ったことは一度もないですね。

――これまでの経験から、最も学んだ教訓とは。

何より「苦しくても続けていれば何かしら得るものがある」ということを学ぶことができました。私の場合は「怪我の怖さ」というものが常に頭に残る中でのトレーニングなので、そこをクリアするための反復練習によって滑り込む大切さも実感できました。

それに、一年を通して滑れる環境でスキーの練習に集中し、時々の流行りのテクニックや最新の用具などの情報を常にダイレクトに得ることができたのも、オーストリア留学やその後のヨーロッパ転戦のおかげだと思っています。

「誰よりも早く滑りたい」三度の前十字靭帯断裂を乗り越え、ミラノ・コルティナダンペッツォ冬季五輪へ。スキークロス選手、新井真季子の挑戦_3

――2022年の7月、アルペンスキーからスキークロスへの転向を表明されました。転向を決意した裏にはどんな思いがあったのでしょうか。

スキークロスそのものは昔から知っていましたし、留学したオーストリアの専門学校にもアルペンからクロスに転向した選手が多かったので、常にその可能性を頭の中に描いてはいました。北京オリンピック出場が叶わなったことで、2022年2月の国体を滑り切ってアルペン競技に一区切りをつけようと。

その段階ではまだ決断していなかったのですが、代表コーチの方から「全日本選手権が4月にあるから来てみたらどうだ」と誘われたので「じゃあ行きます」と軽いノリで出てみたんです。そうしたら本当に楽しくて! 
対戦相手と横並びで滑るのもすごく新鮮でしたし、姉の背中を追ってスキーをしていた子供の頃を思い出しつつ「自分にはこうして競う方が向いているのかもしれない」と思ったんです。

――4人が同時にレースを行なうため駆け引きやフィジカルの接触も多いと思います。負けず嫌いを自認されている新井選手の性に合っている?

そう思います。むしろワクワクしますね。今まで長くアルペンスキーをやってきましたが、それはスキーというスポーツのほんの一部分だったんだなと実感しています。こうして縁があってスキークロスと出会えたので、どんどん楽しみながらやっていきたいなと思います。

――競技として日本ではまだまだ知名度が低く、本当にこれからのスポーツ。その点にもやりがいを感じるのではないでしょうか。


ヨーロッパでの試合数も昨年の倍くらいに増えてきました。日本でもそういう感じで少しずつ知名度が上がっていけばいいなと思います。今回スキークロスに転向した私たちがそういう新しい流れを作っていければとも考えています。