地獄の青春小説で
スレた大人がエモくなる
私には傑作を読むとキレるという悪癖があるのだが、たとえば佐川恭一の短編集『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』を開いたその瞬間、それは炸裂する。
冒頭に収録されている表題作はもうタイトルでどんな話か一目瞭然なのだが、あえて説明すれば学力モンスターがデコトラに跳ね飛ばされ清朝の中国にタイムスリップして科挙(官吏登用試験)の攻略に人生を捧げる物語だ。淀みない語りに下品さを通り越して逆に何も感じなくなる下ネタや中国の歴史的記述が嫌がらせのように挟み込まれたかと思えば、独自の暗記法の謎に幻想的な描写が詳細に書き込まれており、一読して私は確信した。これは商業出版が越えるべきハードルを(下に)大きく更新した作品である。「最悪すぎワロタ」と思った。目に謎の涙が滲むのを感じた。
私はこの作品の出版に関わった集英社の人間全員を目の前に呼び集め、職級順に右から並べ小汚いカーペットに正座させた挙句、小一時間ばかり説教したい衝動に駆られた。そして私の怒号とともに唇から弾き飛ばされる唾の飛沫を満遍なく連中に浴びせたあと、汗やら涙やら鼻水やらの体液で塗りたくった顔面を拭うことなく彼や彼女らをひとりずつ熱く抱きしめたいと思った。文学はここにあったのだ。
佐川恭一とは青春小説家である。そのテーマとして主に据えられるのは「大学受験」や「新人文学賞」という血で血を洗う戦いの世界だ。それはかつて社会で失敗しない生き方や自己実現に必要条件だと思われていたものだが、誰しもが社会生活のなかでくだらないと思うようになるもので、むしろいい歳こいて執着するなど愚の極みと見做される。しかしこの愚かさこそ青春なのだ。佐川作品の登場人物らは強迫観念となった青春を永遠に生き続け、スレた大人たちに笑いと涙をもたらしてきた。本書は佐川恭一ビギナーでもそのエッセンスが堪能できる構成になっているだろう。
若い頃にちょっと勉強ができてしまった、ちょっと小説が書けてしまった――こうしたささやかな能力が私たちの人生を死屍累々とした青春に変えてしまう。佐川恭一とはそんな地獄の求道者なのだ。