すべてのキャラクターが北方先生だ
──ドラマの『北方謙三 水滸伝』の打ち上げがあったそうですね。北方先生のご様子はどうでした?
木村達成(以下同) 少しお話させていただきましたが、緊張しました。でも、思ったよりも気さくな方でした。おしゃべりがお上手で、マイクを持っている時は笑いを取って場を盛り上げていました。エンターテイナーだなあ、と。
大勢を引き連れていくこともできる晁蓋的でもあり、じっと周りを見渡している宋江的でもあって、若い頃はそれこそ史進だったんじゃないか。そんな想像をしました。
──前回、四巻は「李逵に全部持っていかれた」とおっしゃっていましたが、ほかの登場人物で印象に残った人はいますか。
李俊が好きですね。四巻で好きだったのは李俊と李逵。
──李俊はどんなところがお好きですか。
商才があってお金を持っていて、自分の人生だけなら何の問題もないのに、世のため人のために叛乱軍をつくって山に籠るところです。しかも後先を考えずに叛乱を起こそうとするのではなく、闇の商売をちゃんと残してお金を得られるようにしている。頭がいいんです。
──たしかにそうですね。ビジネスと叛乱を両方とも視野に入れ、なおかつ実現していますね。
そう、経営者なんです。頭が回るし、腕も立つ。李俊は今後、梁山泊に不可欠な存在になってくるんだろうなという予感がしますね。
──李俊は貧しい生い立ちから成り上がったけれど、暴れたい。人生に波乱があってほしい。
李俊はこんなことを言っています。
「なにもかも、ぶち毀すような暴れ方をしてみたいものだな。(中略)俺は、退屈しているのかもしれん。役人を丸めこんだりすることだけが、うまくなった。このあたりで、俺に逆らってこようとするやつもいなくなったし」
(北方謙三『水滸伝』第四巻「道蛇の章」集英社文庫 p215)
いま思ったんですけど、きっとこれは北方先生が思っていることです。いろいろなキャラクターに、自分の心の中にあるセリフを言わせているんだと思います。
──北方先生は、小説を書くことを含め、人が表現するものはすべてが自己表現だとインタビューでよくお話しになっています。
それ、僕もよくわかります。音楽劇『銀河鉄道の夜2020』(白井晃演出、KAAT神奈川芸術劇場)でジョバンニを演じたときに同じことを思いました。原作者の宮沢賢治のほかの本を読んでジョバンニを演じたら、理屈ではなくジョバンニの気持ちが分かったんです。
ほかにも、『新ハムレット~太宰治、シェイクスピアを乗っとる!?~』(五戸真理枝演出、PARCO劇場)でハムレットを演じた時も、原作者の太宰治は自分が考えていたことをハムレットたち登場人物にやらせているんだなと思いました。
太宰治がシェイクスピアの『ハムレット』をもとに書いた戯曲形式の小説が原作なんですが、シェイクスピアのハムレットとはかなり違うハムレットで、太宰治を思わせるところがあるんです。
──なるほど、作者自身が主人公に投影されているんですね。
そうなんです。そうか、『水滸伝』に出てくる登場人物は全員、北方先生なんだと思います。 『水滸伝』にはたくさんの登場人物が出てきますけど、北方先生ご自身の幼少期や青年期、壮年期が反映されているのではないでしょうか。人生のある時期はこういうキャラクターだった、またある時期はこういうキャラクターだった、ということが『水滸伝』の登場人物たちに投影されてるんじゃないかな。
その中でも北方先生が色濃く自分だなって思うのが史進だったんじゃないかなあ、と想像しています。
四巻まで読んで、だんだん北方先生のことがわかってきたような気がしてきました。『水滸伝』は北方先生の自叙伝でもあるんじゃないでしょうか。














