人気の井戸に近づいたとき、頭痛と吐き気がした
私は以前、都内にある有名神社の境内で、パワースポットとしてメディアを賑わせている井戸を訪れたことがあります。
その井戸は、一時期、「浄化の力がある」「写真を携帯電話の待ち受けにすると運気が上がる」と大きな話題になりました。
もともとは、たしかに力のある場所だったのだと思います。
しかし、私が訪れたときは、井戸に近づくにつれて、頭痛と吐き気を感じるようになりました。
井戸の前には長い行列ができていました。多くの人が携帯電話を手にし、井戸の写真を撮って、幸運を持ち帰ろうとしていました。
私が感じたのは、井戸そのものの悪さではありません。
そこに集まった、大勢の人の「運気を上げたい」「幸運がほしい」という強い念でした。
私はその空気に耐えられず、結局、井戸を見ることなく引き返しました。神社を出たあとも気分の悪さは残り、回復するまで数日かかりました。
もちろん、同じ場所を訪れたすべての人に同じ反応が出るわけではありません。
それでも、もともとは浄化の力を持つ場所であっても、それを上回るほどの欲望や願望が集まれば、一時的に「逆パワースポット」のような状態になることはあります。
開運のために訪れたはずなのに、そこで強い念を受け、気持ちが沈む。やる気がなくなる。物事の流れが悪くなったように感じる。
金運神社や恋愛神社では、そうしたことが起こる可能性も考えておいたほうがよいでしょう。
有名であることや、ご利益で知られていることと、自分にとってよい神社であることは、必ずしも同じではありません。
参拝客が少ない神社は、ご利益も少ないのか
旅行先で神社を訪れるとき、多くの人は、参拝客の多い有名神社を選ぶのではないでしょうか。
立派な門や社殿があり、写真映えもする。社務所があり、お守りや御朱印も受けられる。
限られた旅行時間のなかで、見どころの多い神社へ人が集まるのは自然なことです。
一方、参拝者の少ない無人神社は、地味に見えることがあります。
社殿は小さく、境内に人影もない。お守りも御朱印もない。
そのため、「人が来ないのだから、ご利益も少ないのでは」と感じる人もいるでしょう。
しかし、
「人が多い神社はご利益がある」
「人が少ない神社はご利益がない」
という考え方は、必ずしも正しくありません。
もちろん、人が集まる神社には、それなりの理由があります。
古くから信仰されてきた歴史がある。実際にご利益を感じた人が多い。神様にまつわる逸話が残っている。
そうした背景はあるでしょう。
しかし、参拝者の数だけで神社の良し悪しが決まるわけではありません。
神社参拝で本当に大切なのは、自分と神様との関係です。
自分がその神様とつながりやすいか。
これからも通い、関係を深めていけるか。
そこが重要なのです。
たとえば、神様とつながりにくい有名神社と、神様を身近に感じられる小さな無人神社があるなら、私は後者を選びます。
見た目が地味でも、参拝者が少なくても、神様ときちんと通じるのであれば、その神社のほうが自分にとって意味があるからです。













