選ぶことはコストである
では、私たちは日々の買い物において、何を基準に選んでいるのでしょうか。たとえばにんじんを買うとき、見た目の新鮮さやサイズ、産地などいろいろな要素がありますが、やはり価格は重要な判断基準です。品質にこだわる人でも、同じ条件なら安い方がいいと考えるはずです。
このように、商品には「安いこと」自体が一つの力として働いています。では、どうすれば安くできるのか。にんじんであれば、肥料や栽培方法の改良による増産、生産地を近くにすることで輸送コストを下げる、袋詰めなどの作業を省人化するといった工夫が考えられます。
ここで注目したいのが、商品に乗せられているコストの中身です。
商品の価格には、さまざまなコストが乗せられていますが、「選ばない消費」においては、私たちが「選ぶ」ことを誰かに任せるぶん、その手間が商品やサービスの価格に反映されている可能性があります。
たとえば福袋を考えてみましょう。中身は売り手が自由に選べるため、当然ながら利益が出るように設計されています。つまり、消費者が価格的に必ずしも得をしているとは限りません。
さらに、そこには「選ぶ手間を代わりに引き受けてもらう」というコストも含まれているでしょう。
選ばない消費を認識する上では、こうした「選ぶことに対する対価」も、目には見えにくいかたちで含まれていると考える必要があります。
この構図は、近年注目されている社会や環境に配慮した「エシカル消費」とも通じるところがあります。エシカル消費の例であるフェアトレードの製品は、生産者にこれまで支払われていなかった対価を支払うという考え方に基づいており、価格にもそのぶんが上乗せされています。
同じように、選ばない消費においても、「選ぶ」という手間を肩代わりしてくれる存在がいることを意識すると、その行為には見えないコストが発生していると考えることができます。
私たちは、選ぶことを面倒だとも感じています。選ばない消費は、そうした面倒を避けることができますが、その行為を他者にゆだねているぶん、対価をどこかで支払っているともいえるでしょう。
それでも「いや、そんな支払いはしていない」と感じる方もいるかもしれません。確かに、おすすめ機能などを使う際に、直接お金を払っている感覚はないでしょう。
でも、その背後には、選択を最適化してくれるための仕組みが働いていて、それに対する対価は私たちの消費行動がデータ化されるなどして、見えにくいかたちで巡り巡って私たちの支出となっていると考えるべきではないでしょうか。












