私たちはなぜ選ばないのか

なぜ、こうして「選ばなくていい」環境が、意識的にも無意識的にも広がっているのでしょうか。それは、私たちが「選ぶこと」に、そしてときには「選ばされること」に、少なからず疲れを感じているからだと考えられます。

ここでは、選ぶことの面倒さ、そしてそこにある社会的背景について考えてみたいと思います。

「面倒だから」という理由で選ぶことを避ける行為は、手抜きや適当といった、ネガティブな意味合いで捉えられがちです。でも、社会の進歩や技術革新の流れを考えると、それは私たちがより良く生きていくために自然と生まれてきた選択ともいえるのではないでしょうか。

たとえば産業革命では、多くの工程が人の手から離れ、機械によって自動化されていきました。当時はラッダイト運動(機械打ち壊し運動)のように、機械の導入に対する反発もありましたが、今、AIや自動化に対してそのような強い反対運動が起こっているかというと、そうではありません。

むしろ、日々の暮らしに無理なく溶け込むかたちで、受け入れられています。そう考えると、「選ばない環境」が整備されていくのは、面倒を避けたいという私たちの意向を反映した、ある種の必然なのかもしれません。

自動運転もまたしかりです。人手不足に加え、人が運転するより機械に任せた方が安全で効率的だという発想が、開発の背景にあります。私たちは確かに目的地は自分で選んでいますが、そこにたどり着くまでのルートや手段は、すでに自ら選んでいないのです。

ここでも、「選ばない化」が静かに、着実に進んでいます。産業革命以来、あらゆるものが加速度的に自動化されてきた中で、私たちは自然と「選ぶこと」から距離をとるようになっているのかもしれません。