27クラブ
ロックの歴史を振り返る時、1969年は非常に意味深い年として捉えられることが多い。
それは激動の1960年代最後の年であるばかりでなく、ビートルズの実質的なラストアルバムがリリースされた年であり、愛と平和と自由の象徴ウッドストックの開催と、それを覆したオルタモントの悲劇が起き、のちにイーグルスが「ホテル・カリフォルニア」で「1969年以降、私どもはそうしたお酒(Spirit/精神)は用意しておりません」と歌った年。
そして、忘れられない出来事は、ローリング・ストーンズのメンバーだったブライアン・ジョーンズが亡くなったこと。彼の死は、60年代のポップスターやロックスターの相次ぐ死の始まりでもあった。
翌年にはジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョプリン、翌々年にはジム・モリソン(以上の3人は奇しくもブライアンと同じ27歳で死去)やデュアン・オールマンが亡くなっていく。ブライアンの死は、一つの時代の終わりを静かに告げていた。
1962年、ロンドンで結成されたローリング・ストーンズ。最初にブライアン・ジョーンズ(ギター)とイアン・スチュワート(ピアノ)、そしてミック・ジャガー(ヴォーカル)とキース・リチャーズ(ギター)、ビル・ワイマン(ベース)やチャーリー・ワッツ(ドラム)らが加わってバンドが誕生する。
「ブライアン・ジョーンズがブルーズ・バンドを結成したくて、それぞれのメンバー1人1人に声をかけたんだ。彼が“ザ・ローリング・ストーンズ”と名付けた。彼が音楽を選び、彼がリーダーだったんだ」(ビル・ワイマン)
ビルが語っているように、バンドの結成時からメンバー選びやライヴの交渉、選曲にいたるまでの一切を仕切っていたのは、ブライアンだった。
しかし、1963年のレコード・デビューを機にマネージャーに就いたアンドリュー・オールダムは、ビートルズのような人気バンドを目指して、ルックスが合わないイアンをまずメンバーから外した。それから5人組のバンドとして、デッカ・レコードと契約したのである。
中でも、ブライアンの数々の楽器を弾きこなす音楽スキルの高さ、男女の垣根を飛び越えた斬新なファッションセンスは、メンバーの中でも一際眩いカリスマ性を放った。
この金髪の美少年の前では、ミック・ジャガーもキース・リチャーズも垢抜けない子供のように見えた。まだボトルネックが何なのかイギリスでは誰も知らない頃から、ブライアンは見事にエルモア・ジェイムズばりのスライドギターをものにしていた。















