「政治に参加する」方法は選挙だけではない
朱 『はじめての公共訴訟』の帯に書かせてもらって、書き足りなかったことを書評で書かせていただきましたが、それは無料で読めますので、もしよかったら。
亀石 ありがとうございます、本当に。
朱 その中で一つ書いたのが、今、皆さん、「公共に参加する」、つまり「政治に参加する」ということの回路を、選挙というものだけに強く捉えがちだと思うんですよね。
亀石 そうですね。
朱 どうしても「選挙で勝った、負けた」とか、「自分が推した候補が当選した、しなかった」、あるいは「過半数を取った、取らなかった」ということばかりにフォーカスしがちで。特に『はじめての公共訴訟』とか、私の本とかも手に取っていただくような方には、「やっぱり、どうせ変わらないでしょう」とか、「選挙で自分の推した候補が勝ったためしがない」みたいな思いがあるんじゃないかと思います。
亀石 そうですね。私も、投票した人が勝ったためしがないです。
朱 でも、そうやって「選挙だけが公共に参加する方法だ」と思ってしまうと、やっぱり「勝った、負けた」で終わりになってしまうと思うんですよね。
亀石 確かに。
朱 でも、実際に政治に参加するということは選挙だけじゃないんです。私たちは、国民であれば主権を持っていて、日本国籍を持っていなくて「日本国民」じゃないとしても、この社会に暮らす市民として、納税者であったり、何かしら地域社会の一員であったりするわけです。そして大げさに言えば、あらゆることが政治とつながっています。そして、たとえばデモに行くとか、公共訴訟で闘うこともまさに「政治に参加する」ということなんですよね。
亀石 そうなんですよね。
朱 「政治に参加する、公共と私をつなぐ回路って、全然選挙だけじゃないんだよ」という話を、特に、選挙が無力に感じられたりする方が多い今の社会だからこそ、したいですし、この『はじめての公共訴訟』という本に書かれていることも、ぜひ知ってほしいと思います。
「被告」「身柄」など、言葉による「非‐人間化」に抗う
朱 「被告」という呼び名は、実は役割語ですよね。法廷の、ある種のゲームにおける役割語で、そのゲームから離れたら、別に「被告」という呼称とその人は、もう関係ないはずですが、報道関係者も含めて、つい、その人の属性であるかのように「被告」と呼んでしまう。
その人がそうやって呼ばれているのを聞くと、一般の私たちも「やっぱり犯罪者なんだ」とか「罪人なんだ」というように、その人のある種の本質であるかのように考えたりしがちです。
亀石 そう。それは、まさにこの『バラバラな世界で共に生きる』に書いてある「ことばによる『非-人間化』」ですよね。第3章に出てくるんですけど、私は、これを読んだときに、まさに「被告」という言葉とか、よく警察用語やマスコミ用語で使われる「身柄」という言葉を思い出しました。
朱 「身柄を押さえる」とか。
亀石 ええ。「身柄を押さえる」とか、「身柄を移した」とか、ニュースなどでも言うじゃないですか。でも「身柄」という言葉は、法律には出てこないんですよ。まさにマスコミ用語だし、警察用語なんです。でも「身柄」って、人のことなのに、何か「物」みたいな印象を与えてしまう。
そういうふうに刑事事件の客体になった人のことを、「物」扱いしているんです。「身柄」という言葉を使って。私は刑事弁護士になったときに先輩の弁護士たちから、すごく言葉の使い方について、注意されました。「安易に警察用語とかマスコミ用語を使ってはいけないよ」と。
「まず、身柄っていう言葉は、絶対に使っちゃいけない」と。
「法律には被疑者とか、被告人というふうに書いてあるし、私たちが実際接するときは、○○さんって、ちゃんと名前をさん付けで呼ぶように」ということを、何度も言われたんです。
最近、刑務所とか拘置所とかで、収監とか拘置されている人を、これまでのように番号じゃなくて「○○さん」と名前で呼ぶようになった、というニュースがありました。これまでは、番号で呼んでいたんです。ひどいと思いませんか? 人間として見てないですよね。
だけど、刑務所にいる人だって、多くはいつかはそこを出て社会に戻っていくわけです。更生のために刑務所の中でいろんな教育を受けたりしているわけですよね。
それなのに、名前を呼ばず番号で呼んでいたら、そこで信頼関係もできないし、社会に出て更生する準備もできないと思うんです。
それで、最近、呼び方を変えて、「○○さんと名前で呼ぶ」というふうになったんです。朱さんの本の第3章で「ことばによる『非-人間化』」という話が出てきますが、そこを読んで私、すごくそのことを思い出して。
朱 そうですね。その事例、すごく大事ですね。
構成/稲垣收 写真/CALL4、集英社新書編集部














