いかがわしいものを含めて社会なんだ
亀石 コロナ禍での国の休業要請で、いろんなお店が休業した中に性風俗店などもあったんですけど、持続化給付金とか家賃支援給付金を、国は性風俗事業者にだけは払わなかったということがあって。「これは職業差別じゃないか」という裁判を私は担当したんですよね。持続化給付金とかが払われなかった性風俗事業者の中には、ストリップ劇場も入っていたんですよ。大阪の、この辺だったら、東洋ショー劇場というのが、天満にあるんですけど、行ったことある人いますか。あります?
朱 はい、大阪に来たばかりの頃に連れて行っていただいたことがあります。
亀石 私、すごく好きで、もう何回も行っているんですけど。いろんなストリップ劇場に、その裁判をやった御縁で行って、踊り子さんの話を聞いたりして。
国はやっぱりああいうのを「いかがわしいものだ」と。何だったら「街の中からなくなってほしいものだ」と位置づけているわけです。大阪万博が始まる前に、東洋ショー劇場が摘発されて、一定期間、営業できない状態になって。これは「万博やっている間だけでも閉めといてくれ」ということだと思うんですよ。だって、東洋ショーはずっと毎日毎日営業しているんだから。それまでだって、いつでも摘発しようと思えばできるのに、していなくて。万博が始まるタイミングで摘発したわけです。さじ加減一つですよね。
何かそういうふうに、ちょっとでもいかがわしいものとかを、街の中から排除していく。
だけど、私が踊り子さんに話を聞いたときに、
「いかがわしいものとか、いろんなものを含めて人間だし、それが街を作っているし、それが社会なんだから、そういうのを全部排除する、真っ白に漂白されたようなことにするのは、何かおかしいと思う」っておっしゃっていて。「自分はやっぱり、そういういかがわしさも含めた人間として表現をしたいんだ」と。
私、すごく共感したし、何か感動するんですよ、ストリップを見ると。
最近、ストリップに女性のお客さんもすごく多いんですけど、ステージを見て、感動して泣いたりしているんですよ。私も初めて見たとき、けっこう感動して泣きそうになったんですよね。
というのは、「何かエロいものだ」と思って行ったんだけど……素っ裸で踊るわけだから、たしかにエロいんですけど。「エロい気持ちにさせなきゃいけない」というのも、踊り子さんは思っているんですけど、ただそれだけじゃないんですよね。
何かもう、アスリートのようでもあり、美しくもあり、本当にすごい、見たこともないような表現なんです。その表現力とかに私は本当に感動しました。「自分の体一つで闘っている感じ」というか、女の人だったら、きっと分かってもらえるんじゃないかと思うんですけど。そういうのがあったんです。
少し話がズレてしまいましたが、でも何か、そういうのも含めて社会だという感じがするんです。
朱 そうなんですよね。まさに、ローティという哲学者が考えていた社会のバランスと、合致することがたくさんあって。今回『はじめての公共訴訟』の帯文に書かせてもらったこともそうでしたし、書評も書かせていただいたんですけど、そういうことって、実はすごく大事で。
司法は英語で言うとjustice(ジャスティス)ですよね。ジャスティスってやっぱり、「正義」「正しいこと」という意味と直結されて使われがちですが、「それだけじゃない」ということは、すごく大事なんです。
「正しい」というのは「いいこと」と結び付けられて、「道徳的に正しい」とか「モラルがある」というのと直結されがちですけれど、justiceって、語源的な話からしても、字面もそうですけど、just(ジャスト)と同じですから、「バランスが取れている」とか「釣り合っている」とか、そういう状態を指すものなんですよね。
だから、司法の象徴である、擬人化された「テミス」という女神は、目隠しをして天秤を持っている姿です。「主観が入らない」ということと「釣り合いを取る」ということですね。だから、「正しさ」を背負って裁くという――。
「裁く」という意味合いも、「責める」とか「滅ぼす」みたいなことじゃなくて「釣り合いを取る」という、ここがすごく大事ですし、「目隠しする」というのも、自分の主観じゃないんだ、ということで。もちろんそれは難しくて常にできることではないんですが、ジャスティスの理念には、それが入っている。そこがすごく大事だと思います。
そのときに、こういった公共訴訟を中心とした司法の今のあり方に「どうやって市民が参加しながら、みんなのための司法をやるのか」ということを実践していらっしゃるCALL4という公共訴訟の支援プラットフォーム(これは日本初で、今のところ唯一です)とか、そのための弁護士の集団であるLEDGEという取り組みって、これまでの人権派弁護士、社会派弁護士とは、けっこう違うものだと私は思っているんです。
亀石 確かにそうですね。もし私が「人権派弁護士」と言われたら、ちょっと自分で違和感があります。
朱 そうかもしれないですね。
亀石 あと、いわゆるポリコレ(ポリティカリー・コレクト、政治的に正しい)みたいなものとも、すごく違う感じがしますね。
朱 もちろん、「人権」のような重要な価値を守るべく「絶対この一線を譲らない」ということの大切さもあることを大前提としながら、こうした「正しさ」を掲げるだけではバランスが難しいときもあるんですよね。「正しくないことまで含めて、私たちの自由のために闘うんだ」ということをやってくださっていることが、すごく画期的なことだと思います。














