「正しくなさ」を「無い」ことにしてはダメなんだ
朱 公共訴訟の中には、公害の話とか、ある意味、非の打ちどころなく、本当に何の落ち度もない被害者で、皆に同情されやすいケースもある一方で、「タトゥー訴訟」のように、「タトゥーなんか入れなきゃいいじゃん、私は入れないし」とか、クラブ風営法違反訴訟のように「夜にクラブなんか行かなきゃいいじゃん」なんて言われかねないことがあり得るじゃないですか。
亀石 そうですね、はい。
朱 でも、タトゥーとか入れ墨って私たちの社会にずっとあったし、クラブに行くという行動も選択肢としてあり得るし、「私がそれをやってもいいんだ」という自由の範疇なわけですよね。公共訴訟がそういうことのためにも闘ってくれている、という点がすごく大事で。
公共訴訟のような社会的な関心をもつ弁護士の先生というと、いわゆる「正義の味方」というか「清廉潔白」で「まったく後ろ暗いところがない正しさ」みたいなものを背負っている、と思う人もいるかもしれませんが、私たちの社会というのは、もちろんそれだけでやっていけるわけではない。
これはまさに私の研究しているリチャード・ローティが言っていることでもあるんです。公共の場である市場「バザール」では、どんな人がいるか分からないから、お互い発言に気をつけたりしなきゃいけない。お互い気を遣い合うんだ、と。でも、それだけだとやっぱり人間社会って、ちょっと息が詰まったりする。
公共の場ではないことにされている、人の何か後ろ暗い部分とか、欲望とかもあるかもしれない。それを「無い」ことにしてしまうと、どこかで噴き出してしまうかもしれないから、そういう、いわゆる「正しくなさ」を無いことにしてはダメなんだ、という観点がローティの面白いところで。それらを無視したり抑圧したりすると、むしろしっぺ返しが来るんだ、と彼は言っているんですね。
亀石 そうですね。
朱 それがローティの有名な主張です。「トランプ現象を予言した」と、彼の死後に言われるんですが……。
「正しさが振りかざされてしまう社会が続くと、やっぱりどこかで、正しくないことを大声で叫んでくれる政治家とかが、ある種、逆説的に支持を集めてしまう」と。つまり「俺たちが言えない本音を言ってくれた!」みたいになってしまう。そういうストロングマン、強い男みたいなのが現れてしまうよ、というのがローティの当時の予言だったんです。
亀石 なるほどね。
朱 その処方箋というわけじゃないんですけれど、ローティは言うんです。人間社会はバザールだけじゃなくて、クラブみたいな、ちょっと暗がりがあって。このクラブといわゆるナイトクラブとはちょっと意味が違いますけど、でもやっぱり「暗がり」があったり、メンバーシップがあったり。あるいはナイトクラブにおいても、確かに大事な側面かもしれないですね。
その場の人がお互い、音楽を楽しみに来ているという「共通感」があったり、その中でちょっとリラックスして、昼間のグチが言えるかもしれない、とか、昼間のストレスを発散できるかもしれない。そういう場所があるからこそ、私たちの社会は何とか回っていくんだよ、と。「明るいバザール」と、「ちょっと暗がりがあるクラブ」と。














