言葉がジェノサイドを生むこともある
朱 『バラバラな世界で共に生きる』の中では、非-人間化の事例として、言葉遣いの変遷が虐殺、ジェノサイドのような極限状況にまで導いてしまうことがあるんだ、という話を紹介しています。
今、実際イスラエルがガザでやっていることもまさにそうですが、歴史上、いろんな場所で起きたジェノサイド、民族浄化とか大量虐殺という場合は、ほとんど絶対というか、いつも「被害者たちのことを人間扱いしない」レトリックがあるんです。
この本で紹介した1994年のルワンダで起きたジェノサイド(*1)においては、少数派のツチ族のことをフツ族の間で「ゴキブリ」と呼ぶということが実際行われていました。だから、「○○さんを殺しなさい」じゃなくて、「ゴキブリを駆除しよう」と呼びかけたんです。
あるいは第二次大戦中の日本軍でも、731部隊(*2)で、生きたまま人体実験に使う被験者のことを「マルタ(丸太)」と呼んでいました。
そして今、ガザ地区においてイスラエル軍の政府高官がパレスチナ人のことを「あいつらはヒューマン・アニマルだ」と言ったことが報じられていました。
そういうふうに、「非-人間化」、相手を人間扱いしないレトリックというのが、虐殺のような場面があるときには必ず行われている。「虐殺には、非-人間化が伴っている」と言っていいでしょう。
逆に言えば、「私たちは人間相手にそんな残酷なことができるほど野蛮ではない」と思いたいわけで、言葉をもって、そこを操作するわけです。
だから、「たかが言葉」ではあるけれど、実は言葉がいかに大事かという話を、私も論じているんです。そういう言葉の問題というのは、確かにすごく身近にあるわけですね。
亀石 そうなんですよ。ローティは、「言葉遣いということをケアすることによって、人々が会話を続けられるようにする」と言っていて、「会話を続けていく上でどういう言葉を使うかは本当に大事だ」ということが、この朱さんの本を読むと分かるんです。
同じ言葉遣いをするとか、彼らが使っている言葉遣いを学ぶ、というか、理解するというか、それが会話を続けていく上で、まず取っかかりになる、と思いました。
朱 すごく大事ですね。
でも、やっぱり「被告」とか「身柄」という言い方はマスコミ用語で、非常に危なっかしい言葉だと思いました。刑務所では収監されている人が、名前でなく番号で呼ばれていた、という話も。
*1 アフリカ東部のルワンダで1994年4月から約100日間続いた大量虐殺。フツ族によって、ツチ族が殺害され、犠牲者数は80万人~100万人と推計されている。
*2 正式名称は「関東軍防疫給水部」。満洲国(現・中国東北部)で軍医・石井四郎中将が率いた陸軍の研究機関で、兵士の感染症予防のため、給水を目的とした研究が行われていたが、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発もしており、中国人捕虜を生きたまま人体実験に使うなどした。














