「黒人が表紙だと売れない」マイケルが挑んだ“人種差別”の壁
――ムーンウォークも含めた「ダンス」は何が革新的だったのでしょうか?
彼のダンスはテクニックが注目されがちですが、その本質は「音楽を身体で翻訳している」ところです。音が鳴る前に身体が反応し、静寂と同時に止まる。動きがサウンドと完全に一致してるんです。声だけでなく身体も“楽器”と捉え、音楽を“可視化”させた。
さらにムーンウォークや『スリラー』のゾンビダンスなど、彼のダンスは世界中で模倣されていきました。SNSのない時代に「地球規模のミーム」が起こるぐらい、国境を越え、人の心を動かす力がありました。
――マイケルはMV(ミュージックビデオ)を変えた存在とも言われていますが、具体的に何が変わったのでしょうか?
それまではMVは基本的に曲を売るための宣伝素材でしかなかった。でもマイケルは自身の映像作品を「ショートフィルム(短編映画)」と呼び、音楽と映像が一体となった一つの独立した作品を完成させたんです。
『ビート・イット』では本物のギャングをキャストに迎え、当時深刻だったアフリカ系同士の暴力に対する問題提起まで行ないました。『スリラー』ではホラー映画の一流スタッフを迎えて、14分にも及ぶ映像作品を作りあげました。
その衝撃度は、時代を象徴する“事件”そのもの。以降、業界全体のMVにかける予算やクオリティの基準が一段も二段も引き上がっていきました。
――改めて、マイケルが現代のアーティストや音楽業界、そして社会に与えた影響を教えてください。
1981年に誕生したMTVでは当時、「黒人の音楽は流さない」という暗黙の了解がありました。その壁を打ち破ったのが、マイケルの『ビリー・ジーン』でした。
90年代以降、ヒップホップの台頭とともに、ブラックミュージックがものすごい勢いで拡大していくんですが、それはマイケルの突破口があったからと言っても過言ではありません。
――マイケルは“人種を越えた存在”とも言われていますが、当時のアメリカでは人種差別がまだ色濃く残っていたんですね。
マイケルが本格的にソロのキャリアを歩み始めたとき、アルバム『オフ・ザ・ウォール』が破格の大ヒットを記録したんですが、音楽雑誌「ローリングストーン」に表紙を断られているんです。理由は「黒人が表紙だと売れないから」と…。
当時のアメリカではまだ黒人差別が根強く、音楽業界でも「黒人アーティストを『ブラックミュージック』という枠に押し込める」空気がはっきりとあった。マイケルはそういった差別を作品の力で打ち破っていきました。
彼のアクションがなかったら、のちのヒップホップの台頭に伴うブラックミュージックの躍進もどうなっていたかわかりませんし、今の音楽の景色は微妙に違うものになっていたのではないでしょうか。













