「自分はミュージシャンであってエンターテイナーではない」
マイケル・ジャクソンのもとに、モータウン・レコードから「創立25周年番組に出演してほしい」というオファーが来たのは1983年上旬のことだった。
モータウンは、マイケルが11歳のときにジャクソン5の1人としてメジャー・デビューを果たして以来、エピックに移籍するまで10年以上に渡って支え続けてくれたレコード会社だ。
しかし、マイケルは短時間で一気に仕上げなければならないというテレビの制作現場では、「自分の納得できる完璧な仕事ができない」「自分はミュージシャンであってエンターテイナーではない」という理由からテレビ出演のオファーは断り続けていた。
モータウンには恩義を感じながらも、やはりテレビには出たくないという理由で、モータウンからのオファーも断っていた。
だが、熱心な説得に押されたマイケルは、条件を一つ出すことにした。
わかりました。だけど、出演するなら、『ビリー・ジーン』を演らせてください。
移籍先のエピック・レコードから1982年11月30日にリリースされたアルバム『スリラー』からの第2弾シングル『ビリー・ジーン』は、すでに全米チャート1位の大ヒットとなっていたが、マイケルはこの曲の更なる成功を求めていた。
とはいえ、この曲をやれば、モータウンの式典の中で1曲だけ、モータウンではない曲が流れることになってしまう。
「それでも大丈夫なのか」とマイケルは気にかけたが、「とにかく君に出てほしいんだ」という返事を受けて、遂にマイケルは番組への出演を承諾した。