終活について「自分事」として考え、それを文章にしたいと思いました『わたしの骨はどこへいく?』安田依央 インタビュー_1
すべての画像を見る

重いテーマを読みやすく

──『わたしの骨はどこへいく?』というタイトルがまず斬新です。しかも読めば読むほど内容とぴったり。この発想はどこから?

 私はもともと司法書士で、相続をめぐる親族間の揉めごとなどを見て、ずいぶん前から「終活」の必要性を感じていました。皆さんに「終活」を知っていただくための活動もしていて、たとえば、『終活ファッションショー』で小説として書いた、ファッションショーがそうです。その後、終活という言葉が広まったので、私はもういいかなと、一旦、終活と距離を置いていました。
 ところが、自分も年をとってきて、親もかなり高齢になってきて、今まで見て見ぬふりをしてきたといいますか、他人事だった終活がいよいよ自分の身に迫ってきました。そこで、終活について「自分事」として考え、それを文章にしたいと思うようになりました。
 そこで何か取っかかりといいますか、フックになるものがないかと考えていたところ、ある朝、突然「骨だ!」と思ったんです。

──なんと! 骨とは即物的ですが、その分、率直でわかりやすいですね。読んで驚いたのは、死についての法律の数々。知らないことばかりで、元司法書士の安田さんならではだと思いました。そして小説家でもあるわけで、今回のテーマをノンフィクションとして書かれたのはなぜでしょう。

 もしも同じ内容を小説で書こうとしたら、難しかったでしょうね。まだ適切な言葉ができてないというか、みんなが意識していないことを小説にするのはすごく難しい。こういう法律や制度があって、こういう解決策があるかも、みたいなことを小説で書こうとすると、説明過多になってしまいます。小説のような実用書のような中途半端なものになってしまうと思うので、今回はノンフィクションとして書いてよかったです。

──あくまでノンフィクションではありますが、小説家らしく、読者に楽しんで読んでもらおうというサービス精神もありますよね。語り手であるご自身を客観視していて、「三日後、私はペンライトを握りしめたまま死んでいた。オタクとしてはある意味、幸せな死に際だが、問題はその先だ」とさらりと書かれています。思わず噴き出しました。

 テーマがテーマなので、どうしても深刻になりがちです。字面だけ見たら死、骨、肉は腐って最後は液状化、というようなあまり明るい話ではないので、なるべく手に取りやすく、気楽に読んでいただけるようにと一生懸命考えました。

──本としても、案内板とかコラムとか読みやすさの工夫がされていますね。

 集英社学芸編集部のWebサイト「集英社 学芸の森」で連載をさせていただいていた時は、ああいうものはなかったんです。でも、一冊の書籍として見た時に、最初のほうで法律の話が出てきた時点で「もう無理」と思われることは避けたかった。その先を読んでほしいので、先に行けばこういうものがありますよ、みたいな案内があったほうがいいと思いました。

人の死は抜き身の価値観を問う

──現代の日本人は自分が無宗教だと思っている人も多いと思うんですが、そう思いながらも、自分の骨はお寺にあるお墓に入るだろうと思っていたりする。骨をどうしようと考えた時に初めて宗教と直面し、死生観を問われる。自分がこだわっているものが何なのかと考えるきっかけになると思いました。安田さんご自身もそうした戸惑いを率直に書いていらっしゃいます。

 本の中でも書きましたが、私は究極の無神論者だと思っていました。無神論であり無宗教。でも、実際に去年、母が亡くなってみると、本当にそうなのかな、と疑問が湧いてきました。父と二人だけの家族葬で母を送ったんですが、葬儀社の方がお線香立てを用意してくれたんです。「無宗教ですから要りません」と言って、宗教的なことは何もしてもらわないことにしました。でも、そうすると葬儀の間、何をしたらいいんだろう、と手持ちぶさたになりました。宗教の儀式をしないと、何もすることがないんだと気づいて愕然としました。今まで葬儀の時に当たり前だと思っていたこと─所作であったり作法であったり─はすべて仏教だったんだなと。「私は無宗教です」と言っていた私ですら、お葬式では仏教の型に違和感なく従っていたことに気づきました。
 振り返ってみると、これまで祖母が亡くなったり、おじ、おばが亡くなった時にはお葬式に参列したんですが、仏教式だったので、私も仏教徒としての振る舞いをしていたわけです。それが、母が亡くなって、いよいよ自分が式を司るといいますか、俗な言葉で言うとプロデュースする立場になってみると、鮮明に死と宗教の関係が見えてきました。
 連載中に母が亡くなったので、連載を開始した時と、母が亡くなった後では、宗教についての考え方が少し変わり、より深く考えられるようになったのかなと思います。

──なるほど。昔と今とではお葬式についての考え方も大きく変わっていますよね。故人をどう送るかで親戚の中で意見が割れて、親族同士がけんかして、仲が悪くなった例も時々聞きます。

 そうなんですよ。人の死をどう扱うかは、それぞれが抜き身の価値観でやり合わないといけない場面なんだと思います。
 だから、決まった形、お仕着せのお葬式の流れに乗ったほうが楽なんですよね。でも、私だけではなく、日本人は宗教となるべく関わらない方向に進んでいる。それは自分たちで選び取った自由でもあるけれど、その分、背負わないといけないものもある。何を選び取るかの自由と責任ですよね。自分の骨をどうするか、自分の死をどうするかを選び取るためには、自分で考えなくてはいけない。
 死後、自分の骨をどうしたいのか。自分に信仰は本当にないのか。本当にご先祖様を敬わなくていいのか。自分がどういう死生観を持っているのかを一度見直してみる必要があると思いますね。これが正解というものはなくて、人によって違うから難しいですけど。

──そうですね。だからこそこういう本が一冊あると、じゃあ自分はどう思うのか、あなたはどう思うのかということを話すベースになると思います。また、実務的なことも調べる必要があるのがわかります。コラムで横須賀市のことを書かれていましたね。終活情報の登録制度があるからうらやましい、と。行政の対応も自治体によって違うというのも重要な情報だなと思いました。

 そうなんですよね。行政は終活について何もしてくれないのかなと思ったらしてくれるところもあったり、逆にやっぱり何もしてくれなかったりとか。住んでいるところによって違うんです。どこに住んでいても同じように、何かしら行政が助けてくれるといいんですけどね。